「寝てる‥」

さっきまでハラハラしていた顔は一体どこへ行ったんだろうかと思う程に、俺が風呂へと消えた後、リビングに用意していた布団で小さく寝息を立てている小鳥さんが目の前にいた。なんというか、危機感みたいなのはもう欠片も残っていないということだろうか。嬉しいような悲しいような。

「にゃあ」

まあしょうがないか。今日1日で色んなことがあったんだから、疲れていてもおかしくないし。薄い毛布が肌蹴ていたのでそっと直すと、どうやら毛布の中に潜り込んでいたらしいマシロが顔を出した。‥毛布が捲れていたのはそのせいだな。

「お前はこっちね。ソファに別の毛布用意してるでしょ」
「シャーッ!」
「何その威嚇‥離れたくないわけ?」

喋っている言葉が分かっているかのように俺の顔を睨み付けると、またしてももぞもぞと小鳥さんの寝ている毛布の中へと潜り込むマシロ。いやまあ別に良いなら良いんだけど‥。にしても、小鳥さんよく寝てるなあ。

「‥はあ」

大学に入学してサークルに入った時、高校時代に試合会場で見た顔があった。第1印象というのは根強く残る。つまり俺は、小鳥那津という人物を覚えているということだ。

その日は男子も女子も第2ブロックの決勝戦が同じ場所であって、特に女子の盛り上がりが凄かった試合だった。何が凄かったかというと、その試合内容だ。1度として決勝まで残ったことがなかった無名の‥まあ、悪く言えば弱小校だった所と、常連の強豪校。トーナメントの引きが良く、決勝まで運良く勝てていたのかと思えば、実際の所は違っていたし、あの日確かに強さの中心となっていたのは彼女だった。と言っても、人1倍大きな声を出すわけでもない。スパイクだってレシーブだって人並みだ。

「あの子絶対ベストサーバーでしょ!どんだけサービスエース取ってるの?!」

サーブ。唯一孤独の戦いを強いられる攻撃。その場所で小鳥さんは5セットのうち約1セット分の点数をサーブだけでもぎ取ったのだ。公式の、しかも決勝戦でそんなことは稀で、簡単に起こるようなことではない。だが連続で点を取られようとも、彼女はサーブが回ってくる度に点を取り返し、その度にチーム内の士気をいとも簡単に上げていた。まあ結局は決勝で負けたみたいだったけど。

そして大学で出会って蓋を開けてみれば、どこにでもいる普通の女の子で、少し勉強が苦手で、笑うとタレ眉になる可愛らしい人だった。普段の学校生活とか、運動部だったにしては随分華奢な体型を見ると、とても運動をしているようには見えないけど、やはり人は見た目で判断できないものだと再認識した。

「ふふ、もう、お腹いっぱい‥」
「‥どんな夢見てるのこの子」

嬉しそうに顔を緩ませて、口から出る面白い寝言。なんとなく彼女の後ろ髪を手に取ると、ふんわりと柔らかいシャンプーの匂いがした。‥俺と同じ物使った筈なのになんか匂い違うってどういうこと。












「んぐ、いい匂い‥」
「ちょっと、今日お昼から授業だよね」
「ん〜‥今何時‥」
「11時」
「もうちょっとだけ寝れるから〜‥お母さんそっとしておいて‥」
「‥間違えるならせめてお父さんじゃないの」
「ん〜‥?‥‥‥‥‥。赤葦君!!!!」

とろりとした目で俺の顔をゆっくり確認した後、数秒後に覚醒した。その一連の流れが面白い。あたふたと一頻り慌てると、思い出したかのように小さく縮こまった。マシロはそれでも毛布の中だ。

「や、やばい‥爆睡しちゃってた‥」
「寝言言ってたよ」
「ウソ!!ど、どんな!!?」
「‥内緒」
「え、ええ〜‥‥」

くるくると変わる表情を見るのもとても面白い。小さく笑うと、ぶかぶかの俺のTシャツを着ている小鳥さんは、恨めしそうに頬を膨らませていた。

2017.03.28

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