ヤバイ。仕事が捗ってしょうがないんだけど。前よりも一段と鮮明に聞こえてくる音。別にヘッドホンを良いやつに変えたわけでもないのに何故だ。いや分かっている。明日烏養さんと飲み会があって‥いや数人でだけど、とにかくそれが原因で仕事が捗っているんだろう。単純だが納得。

「ゆかり、読み込み終わったのか?」
「あ、うん。はい」
「はっや。サンキュ、今から聞くからちょい待ってて。近くまで送る」
「いいよ、今日大学行かなきゃいけないし」
「いいから」

そう言って、目の前の男は私の腕を取った。ほんとに勝手だなあと思いつつ、まあまだ間に合うかと座り直す。"アカネ"という只今人気急上昇中バンドの、"草食でクールなイケメンボーカル"とかなんとか言われているこいつは、薙原朱祢(なぎはら あかね)という、実は蓋を開けたらただの超肉食系男子である。テレビやネットの力は怖い。キャラを作っていたら見事に立ち位置がそれになっていたという感じだ。笑った。

「わりーな。今回楽器隊がクソだっただろ」
「朱祢‥キャラ設定があるんだから言葉遣いなんとかしたら‥」
「ゆかりしかいねーんだしいいじゃん。何年の付き合いだと思ってんだ」
「そうだけど‥どこで聞かれてるかなんて分かんないでしょ」
「心配性かよ」

ただでさえ盗聴器だとかなんだとか色々ある世の中だ。気をつけろと言ったところでこの男が聞かないだろうことも予想はつくが、有名になるということは周りも気にするべきなのだ。‥もういい、言わないことにした。

「‥‥めっちゃいいカンジじゃん。つかカッティング結構弄ってんな‥まあこっちのが好きだからいいけど。これ出来るようになれって言っとくわー。あーここでマイナーコードかー」
「別にそれを弾けなくてもいいから実力つけてよ。毎回MIXもマスタリングも本当大変なんだよ、雑音多いし弦に指当たって音被ってるしクリック地味にずれてるし。特に今回酷すぎ」
「あいつらゆかりがなんとかしてくれるって思ってるからな‥悪い」

あんたらライブもやるんでしょーが。ライブやる時だけ真面目に練習しないでよねと睨みつけると、まあまあまあ、なんて朱祢が私を宥めにかかる。これだからとりあえず顔面だけで売れる奴は嫌いだ。確かに朱祢は、ボーカルとしての歌唱力もカリスマ性も高いから売れるのは分かる、しかも努力家。‥けれども。周りが!

「この音源もう事務所に提出してんだよな?ま、多分一発オーケーだろうけど。毎回助かるわー。ありがとな」

そう言いながらやっと腕を離した朱祢が笑う。思うんだけど、その笑顔で売った方が売れるんじゃないの?まあ、事務所や本人の都合なんだろうから言いはしない。

スタジオを出て朱祢の車に乗り込むと、出発しようとエンジン音が鳴る。数少ない授業の時間まであと1時間だ。今週はあの日以来、烏養さんと会っていない。バイトには行っているが、烏野バレーのコーチがどんどん忙しくなってきている証拠かお店にいることも少なくなってきている。寂しいけど、明日、会える。何着ていこうかな。

「‥なあ。お前相当顔緩んでるみてーだけど自覚してんの?」
「はあ?っひゃい!ひょっひょ!」

ぐにーん。頬っぺたをあらん限りに伸ばされて、出そうとした言葉は言葉に成らず。何遊んでやがる。明日という烏養さん(達)との飲み会の時に、頬っぺたが伸びっぱなしになっていたらどう責任を取ってくれるつもりだこの男は。

「俺とのドライブがそんなに楽しいか?ん?」
「馬鹿じゃないの。早く出発してよ遅刻する」

おいお前俺の2個下。そう文句をつけてくる声が聞こえてきたが、聞こえなかったフリをした。頭の中は、明日のレコーディングで尻叩きをすることでいっぱいいっぱいなのに、不貞腐れた朱祢の顔を見る余裕なんてあるわけが無い。‥コーチの烏養さんかあ。見たいなあ。どんな顔して教えているんだろうか。もっと烏養さんのこと、知りたい。

2017.03.10

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