「今日、明日はしっかり休めよ!」

大きな声が夜の学校に響いた。なんとか第1回目の合宿を終えて烏野高校まで戻ってきて、皆さすがにお疲れなのか疲労が隠せていない。私といえば行きはすぐ寝てしまうという図太い神経だったけど、帰りは眠れなかった。それはもう色んな意味で。隣の東峰君はひどく口数も少なくて、周りもそれと同じくらい静かだった。いたたまれない空気の中で田中君や西谷君はしっかりと爆睡していたみたいだったけれど、それでも元気だろうと思っていた2人も眠そうだ。

「来海、私少し片付けてくるから待ってて。一緒に帰ろう」
「あ‥‥手伝うよ、」
「いい。凄い疲れてるみたいだから、ちょっと休んでて」

そんなに疲れてないけどと言いたかったけど、長い帰り道で寝ることができなかったのが効いたのか、瞼が重い。身体が重い。そういえば帰りの車内、クーラーの温度が行きよりも低かった気がする。道中東峰君の「寒いなら、ジャージ貸す、けど」の言葉に首を振ってしまったけど、今更と色んな意味で後悔してる。借りればよかったかなあと、ふるりと震えた片腕をさすった。

「知里、お前バスで寝てなかったのか?」
「なんか、寝れなくて‥試合見て興奮してたのかな」
「いや、‥ちょっと顔色悪いぞ‥」
「そう?」

澤村君はそう言うと、少しだけ眉間に皺を寄せた。あれ、そんなに見えて分かる程に疲れているんだろうかと思った瞬間、目の前がぼやける。‥すぐにそれは治ったけれど、彼に誤魔化しは通用しなかったらしい。眉間の皺をさらに深くさせた澤村君が私のおでこにすうと手を当てて、潔子ちゃんを呼んだのだ。‥って、いやいや私のことはいいからって突っぱねようと思ったのに、私の軟弱な力では澤村君を突っぱねることができなかった。‥私とは違って、潔子ちゃんにはやることがたくさんあるのに迷惑ばっかりかけてられない。

「ほんと、大丈夫!あの、‥時間かかりそうだし私先に失礼しようかな。皆片付けあるのに先に帰るの申し訳ないけど」
「ちょっと待て知里、」
「じゃあまた次の合宿で!」

私、いつも通りだっただろうか。視界の端で、私を見ていた菅原君の目と、全く見ていない東峰君の目に気付いて、なんだか気まずくて、そして悲しい。逃げるように皆の輪から離れて大きく息を吐くとどっと疲れが重くのしかかってきた気がした。‥肉体的に疲れてる訳じゃなくて精神的にやられてる。ほんの些細なことが、胸に突き刺さっている。

早足で歩いていた先にいつもの信号が見えた。ボタンを押して青になるのを待っていると、吐いた息がなんとなく熱いことに気付く。帰ったらもうさっさと寝ちゃおう。食欲ないし、洗濯機に洗う物を全部入れて‥お風呂はもう明日でいいや。なんかもう面倒臭い。体も心も1回休ませたい。本当は東峰君にメールとか、電話とか出来ればって思っていたけど、‥そんなことする余裕なんて、ない。

「知里さん!!」

ふと終わりにすればいいと思った。東峰君を好きだっていうことも全部無かったことにしてしまえば、案外と全部元に戻るんじゃないかって。赤から青に信号が変わって一歩を踏み出すと、右側から車のクラクションと同時に私の名前を呼ぶ声が聞こえた。光る黄色と赤色、黒い車体が見えたのに、どうなるかなんてぼんやり分かっていながらも足元はふらりふらりと前へ進む。頭と体が別物みたい。ああ、やばい。‥だけど、恐らく何か起こる間際に腕を引っ張られた。力強くて、ほんのり汗ばむ掌。大きな体に思い切りぶつかった後、そのままべしゃりと歩道にダイブ。‥1つ訂正しておくと、歩道にダイブしたのは私ではなかった。

「あっぶな‥!!」
「、東峰く‥」
「ッ全然大丈夫じゃないだろ!間に合わなかったらどうなってたか!!」
「ごめ んなさ、」

スポーツバッグがすぐ近くに放り投げられている。そして、そのスポーツバッグの持ち主は東峰君だ。まさかわざわざ追いかけてきてくれたのだろうか。‥私の為に?なんで、どうして。コンクリートの地面にお尻をついて、彼の胸の中にいることに気付いた瞬間、東峰君らしくない大声に思わず背筋がくるりと丸まった。

「エッ‥あ、いや!お、大声出してごめん、」
「なんで‥」
「‥どうしても気になって。調子悪そうなのなんとなく分かってたけど、‥俺じゃあ役不足だと思って‥いや、言い訳だよな‥本当、俺サイテーだ‥」
「‥東峰君、」
「なに、っていうか調子悪いよね‥立てる‥?」
「来てくれて、ありがとう‥」

終わりにしようと思った?本当にそんなことが出来るの?‥この手を取ったら、今度こそもう無理だ。終わらせようとか、不器用すぎる私には出来るはずない。だってもうこんなに東峰君のこと、

「すき‥」

独り言みたいにぽんと口から吐き出した。言って初めて、何を口走ったのかと慌てて手を引っ込めて口を隠す。ぽかんとした彼の顔がそこにはあって、ぶわっと汗が噴き出した。何言ってんの、私馬鹿じゃないの。東峰君の体を押し返して大きな鞄を抱え込んだ。慌てて立ち上がって、振り向かないようにふらつきながら走る後ろで、東峰君の声は何も聞こえてこなかった。

2018.05.24

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