部活が始まる前、偶々先生がいると言われた職員室に行った所だった。今までの試合の記録や、撮り貯めたDVD、そんな色んなものを一式持っていたが、職員室で一瞬目にしただけのテレビの枠の中にいた顔も見えないような女の子を見つけて、手からノートやDVDがばらばらと落ちていくのだけが分かった。‥なんでテレビになんか映ってるんだ。あれ、そうだろ。俺が間違えるはずねえし。‥ゆかりが、"S"とかいう世の中で騒めきだっている人気アーティストのボーカルらしい男と噂になってるとか‥なんだそれ?

「烏養君!大丈夫ですか?!」
「あ‥わり‥」
「足!爪先大丈夫ですか!!」
「いてえ‥」

なんでとか、どうしてとか、そんなことを考える暇もなくぴんときたのは先日ゆかりが話していたことだ。告白されたとかなんとか。‥それってもしかしてこいつのことか。なんて厄介な。ぐさっと鋭利な刃物で心臓を突き刺されたみたいな強い痛みが走った。

俺とゆかりじゃあ歳の差がどうしたってある。たかが4つ、されど4つ。俺はただのバレー部のコーチで、そこらの商店に勤めるただの男だ。だけどテレビに映っていた男はどうだ?ゆかりと話しが合うであろう同業者で、歳も多分俺より近くて、周りでキャーキャー言われるようなモテる男。‥なんだこれ、分が悪すぎる。握り締めたノートの1ページがぐしゃぐしゃと皺だらけになったような気がする。‥悔しいけど、俺の方が優れているところは当然ながら見当たらない。

「‥烏養君?」
「先生、少しだけミーティング待ってもらっていいか。すぐ戻る!」
「え?あ、はい、」

ガン!と見知らぬ人の机の上に持っていた物を置いて、飛び出すように職員室を出た。めちゃくちゃ焦って、廊下にがちゃんと落としてしまった携帯電話にいらついて舌打ちが漏れる。違うよなってみっともない姿で必死に電話帳を開いて、はっとして手が止まった。

「ほんとに好きなんです‥わたし、」

いや、俺はちゃんとあいつの気持ちを分かってるだろ。ずっと見てたんだから、信じてやらなくてどうする。真っ赤に染まった頬で、泣きそうな顔で伝えてくれた声を信じてやれなくてどうする。ぐちゃぐちゃしていた頭の中が1つずつ綺麗に整頓されて、大きく息を吐いた後にボタンを押した。そういやあいつ言ってたな、今日一緒にいたくてって。あの日何かあったのは明白だったし、不安があったからこそ俺と一緒にいたかったっていうこと。‥それだけで充分分かるだろ、冷静になれ、俺。

『‥もしもし、』

通話が繋がった音に小さく息を飲んで、彼女の声が震えていたことに気付く。報道見たんだな。‥ということは多分、俺が話したい内容も分かっているんだろう。写真撮られてた女の子ってゆかりだよな。問いかけには無言で、ああ、そうなんだなって思った。じゃあ次に何が不味いのかって考えた時に、そこにはもうあいつとどんな関係だとかなんであいつなんだとかいう疑問はない。記者とか、面倒くせえマイクやカメラを持った人間がゆかりを追い回す映像が浮かんで、じゃあ俺の家来ればいいじゃんって、真っ先にそう考えて口にした。

『なんで、‥距離置きたいとか、そういうの何も思わないんですか、』
「‥なに、距離置きてえの?」
『違います!違うけど‥でも繋心さん、‥や、それどころか、おばさん達にも迷惑かけるかもしれないですよ‥』

そう、そういうところ。1人でなんとかしようとして、ちょっと無理する所。唯一そこだけはゆかりの嫌いな所だよ。だから、かければ?そう言ったら、電話の向こう側の空気が少しだけ変わって安心した。途中で少しだけ煩い感じの明るい友達が電話を代わってきて、そこも安心して、少しだけ笑えた。

『すみません、‥ちょっとの間、お世話になってもいい、んですか‥?』

大歓迎だよ、ゆかりなら。緊張が解けたような声色はやっといつも通り。ほっとして硬直していた頬の筋肉が緩む。人気アーティストのボーカルがどうした、そんなの関係ねえし。一緒に歩いている画像があるからどうした、仕事場が同じなんだからそんなこといくらでもあるだろ。迎えに行く約束をして、電話を切って。そうしてガキみたいに拳を握り締めて、溜めていた息を吐き出したついでにガッツポーズ。‥めちゃくちゃ安心したのと、ちょっとだけ下心があったっていうのは、ゆかりには絶対言わねえ。

2018.02.28

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