「へえ、よかったじゃん」

木兎先輩が帰ってすぐ、濡れた制服を脱いで適当に体を拭いた上からスウェットワンピに着替え、そのまま京治の部屋に駆け込んだ。あんたなんてことしてくれたの、緊張しすぎて死ぬかと思ったんだけど。あんなに近いのは初めてで、異性とそんなに近いのもあんまり慣れてなくて。‥ああいや、京治は別。これっぽっちもドキドキしないんだもん。小さな頃から一緒だったからまるで兄妹みたいに育ったし、お互いそんな気はない。良い意味で空気。‥ってそうじゃなくて!

取り敢えずこれ飲みなよと渡されたコップの中身を一気飲みした。中身梅昆布茶とかあんたはおっさんか。

「良い仕事したろ?」
「う‥‥でも、急にあんなの困るから!」
「いいじゃん。これを機にもっと頑張れば」
「他人事みたいにそんな」
「まあ俺にとっては他人事だしね」

こいつ頭の上から梅昆布茶ぶっかけてやろうか。飲み干したコップをこん、と机の上に置くと、今度は京治のお母さんがよかったらどうぞって手のひらより少し小さいくらいのおにぎりを私の目の前に差し出して行った。早く帰りなさいよとは言うけど、勝手に居させてくれるから楽だ。ここは第2の家である。

「京治に好きな人できたらおんなじことしてやるからね」
「凄く余計なお世話だからいいよ」

私がもらったおにぎりの1つをひょいと奪って、もっしゃもっしゃと食べるその様子はさながらハムスターだ。頬っぺたつついてやりたいけどお米吹き出されても困るしやめよ。

明日、どんな顔して会えばいいかなあ。普通って1番難しいんだよね。少し仲良くなったからって、「おはようございまーす!」って行くのも違うしな。だからって無視もできないし、こう、中途半端に仲良くなるのが1番いけない。そもそも仲良いっていう表現が正しいのかもよく分からないけど。また1つおにぎりを手にした京治は、別にいつも通りでいいんじゃないのって3つ目のおにぎりを見つめている。どんだけお腹減ってんのよ。さっき夕ご飯食べたんじゃないの?

「ねえ京治、分かってると思うけどそれ私がもらったおにぎり‥」
「木兎さんはそういうの分かんない人だと思うから積極的にいかないといつの間にか彼女作っちゃうかもよ」
「その時は‥まあその時かな‥」
「あれでもあの人結構モテるし、夜鷹ずっと好きだったろ」
「うるさいなあーもー!ていうかおにぎり何個食べるつもりよ!」

全部で5個あるうちの3つ目にまで手を伸ばした彼は、ああ、そうだったなんてぼんやり呟いている。分かってたくせに食べたでしょ。私は恋の悩みと先程の文句を言いに来ようと思ってここまで来たというのに、全然意に介していないこいつはこれからお風呂に入ってくるという。嘘でしょ、まだ話し終わってないんだけど!

「今度は木兎さんの連絡先聞いてみるといいんじゃない」
「そんなことできるわけないでしょ。できてたらもっと仲良くなってる」
「ビビり」
「はっ?」

笑いを含んだ顔で、私をバカにしている様子が見えた。誰に、ビビりだって?煽っているようにしか見えなくて顔を顰めた瞬間、逃げるように4個目のおにぎりも持ち去って行った。誰がビビりだって?ねえ、もっかい言ってみなさいよちょっと。

「ちょっと京治!」
「俺風呂入るんだから覗きとかするなよ」

誰がするか!むかついて手元にあったラップの箱を投げつけたけど、華麗にキャッチされてそのままお風呂場へ。ラップを返せ。静かになったリビングで、私の唸り声だけが響いている。京治のおじさんもおばさんもここにいなくてよかった。というかいたらこんな話しできてないか。あーむかつく、むっかつくー!見た?あの京治の顔。「お前そんなこともできねえの?ほんと変わんないよな」って言いたげな顔!乙女の恋をなんだと思ってるんだ、絶対やつの彼女になった子は苦労する。断言する。

「はあ‥」

‥とは言え、今年で木兎先輩は卒業してしまう。なにかアクションを起こさない限りは、このまま普通に梟谷からいなくなる。いや私にはまだ可能性が残っているよね。取り敢えずは今度の練習試合に行くから、そこでまたなんかあればいいなとか、‥なんか急接近でもできるチャンスがあればな、とか。残ったおにぎりを手に取りながら、私はスマホのロック画面を解除した。京治が送ってくれた唯一の木兎先輩の写真を見て、思わず溜息が出る。

こんなの持ってるなんて引く。けど、しょうがないじゃん。‥なんだかまだ木兎先輩の匂いが近くに残ってるような気がするなあって思ったら勝手に口元がにやついた。

2018.07.20

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