木兎先輩がいつもの少年みたいな笑顔じゃなくて、ちょっと大人びたような笑顔を見せてくれてから、無事にお付き合いを始めたわたし達。と言っても日々の生活は特になにも変わることはなかった。お互い部活があるし、お互い付き合いだってあるからだ。それでも、付き合っているという事実は紛れもなく本当のことで、夜に電話をしたり、朝練の時間が被ってると待ち合わせて一緒に学校へ行ったり。そんな小さなことが嬉しくて、多分わたしは人生で今が、一番幸せだ。

「夜鷹ー聞いてる?」
「聞いてますよ、今週末部活ないんですよね?」
「そう!」
「わたし部活なんですよ」
「エーーー!!」

時間帯は早朝。近所中に響き渡る木兎先輩の悲鳴みたいな声に、わたしの背中がびくっと震えた。部活が休みだなんてこと、中々あることではない。そしてそれ以上に、わたしと先輩の部活の休みが被るだなんてことはもっと稀だ。勿論こちらとしてもショックである。嘘じゃない。でも、そんなに残念そうにされてしまうと、ショックよりも嬉しいが上回ってしまうのはなんでだろう?それはきっと、木兎先輩が本当に「わたしと一緒にいたいんだなあ」ということが分かるからだ。

さっきまで意気揚々としていた先輩のテンションは見るからに下がっていて、きっと梟谷男子バレー部流に言うとこれが「しょぼくれモード」的なものなのだろう。京治曰く、こういう時の木兎先輩は機嫌を治すのに時間がかかる時とかからない時があるという。今のこの状態は、果たしてどっちなのだろうか。

「どこか行きたかったんですか?」
「デートしたかった‥‥」
「そんなに落ち込まれるとなあ‥終わってからでよければどこか行きます?夕方以降になっちゃいますけど」
「行く‥‥」

テンション低めの「行く」だなあ。どちらともなく握っていた掌にちょっとだけ力が込められた。少ししっとりとした汗の感覚にどきっとしたけれど、ここでわたしが掌を引いてしまえば先輩のテンションは更に落ちていくだろう。それが容易に想像できてしまって、なんとか引きそうになった手を留める。次いでに笑いそうになったのは、内緒。

「私服デートしたい‥」
「じゃあ急いで帰って着替えてきますね」
「‥迎え行っていい?」
「え、家までですか?」
「時間無駄にしたくねえもん」
「だったら部活終わってから連絡します」
「分かったっ!!」

会話が続いていくにつれて、先輩の機嫌が良くなっていく。さっきまで暗かった雰囲気がどんどん晴れたかと思ったら、元に戻った木兎先輩の笑顔。どうにもわたしはこれに弱い。しかも、今その笑顔をわたしだけが独り占めしているってことがとんでもない贅沢をしている気がしてならないのだ。

木兎先輩の熱を直接掌で受け止めながら思う。木兎先輩のこと、諦めないでいてよかったって。京治やユミの言葉を受け止めずに流していたら、わたしはきっと、今までにないくらい大きな後悔をしていたはずだから。好きな人がいるっていうのは素敵なこと。そしてそれ以上に、好きな人と思いを通わせることができるということは、もっと素敵なこと。

「焼肉食い行かねえ?焼肉!」
「ってそれ、焼肉食べたいだけでは‥」
「夜鷹と二人で食べに行きてえの!」
「美味しいところあるんですか?」
「ある!まだ誰とも行ったことねえとこ!」
「じゃあ‥まあ‥」
「おっしゃ決まり!」

学校に到着するまであと十分程度だろう。梟谷学園の校舎が奥の方で見え隠れしている。そうして校舎が近付いてくると、朝練に向かう生徒達の姿がちらほらと視界に入ってきて、そしてわたし達を見てそそくさと頭を下げたり、ちょっと冷やかしてきたり。特に井上やユミ達に見られた日には、朝練が終わってもニヤニヤされるから、それがいまだに慣れないし、いい加減にしてと言ったところでその言葉は効かない。

「初デートだな!」
「‥嬉しいですか?」
「そりゃオマエ嬉しいに決まってんじゃん!え、俺だけ?」
「嬉しい、以上に、ちょっと緊張します‥」
「じゃあその緊張が早く解けるようにいっぱいデートしよう!」

春から真夏にかけて、わたしは一つの人生を選択したことになる。だけどそんなこと、今ここで知る由もない。

ただシンプルに分かるのは、この人と一緒にいれば、きっと毎日が楽しくて、なにがあってもずっと笑顔でいられるだろうなっていう確信があることなのだ。

2020.04.26 完

前へ

次へ