「木兎さん、チア部まだ部活中なんで」
「えー!いいじゃねえか少しくらい!」
「駄目に決まってんだろバーカ!」
「木葉それただの妬みじゃん」
「うっせーバーカ!」
「ガキですか」
「オイコラ赤葦コラァ」

こっちに手を振っていた木兎先輩がこっちに歩み寄って来る前に、京治がそんな彼の首根っこを掴んで制している。先輩に対してそんなことして良いと思っているのか。だけど、京治だからこそ待ったをかけられるのかもしれない。ついでに他の3年の先輩達は笑っている。あれが日常の、通常運転の梟谷学園男子バレー部なのだ。

「‥ふふ、なにやってんだか、」
「せーんぱい。頭大丈夫です?」
「あ。ごめんね、大丈夫大丈夫」
「あの、‥あの、前からちょっと聞きたかったんですけど、一ノ倉先輩ってもしかして男バレのキャプテンと付き合ってるんですか?」

さっきまで頭の上でぐるぐるとバトンを回していた1年生が、ぴたりと手を止めてすすす、とこちらへ寄ってきた。最近めきめきと実力を付けてきた、井上という女の子である。ぽたぽた流れる汗をタオルで拭いながら「大丈夫ですか?」ってまず聞いてきたその第一声は、本題を聞く為の前座だったのだろう。こっちもこっちで大概上下の仲は良くできているらしい。もちろん良いことではあるが、急にその話を振ってくるのはよろしくない気がする。

「その話今必要じゃないでしょー?そろそろ着替えなさい」
「えー気になりますよー。すごい仲好さそうだし、それに男バレのキャプテンって1年生の間でも結構人気なんですから」
「じゃあ付き合ってません。はい、話し終わり」
「えー?ほんとですか?」

煩いなあ。私だって付き合えてるもんなら付き合ってるってば。面白くなさそうな顔をして不服そうに唇を尖らせる彼女の仕草は、まだまだ納得していない証拠だ。大体木兎先輩は誰に対してもいつもあんな感じだよ。それを逆に今まで見ていなかったのだろうか、とも問いたくなる。

聞いていないのに、衣装に着替えながらぺらぺらと口が閉じないこの後輩は、周りに先輩が好きな子が結構いるせいか、それなりに情報を持っているようだった。朝自販機でいつも買っているものは決まって同じメーカーのスポーツドリンクだとか、昼は焼きそばパン買いに来て、売り切れてしまっていたらしょぼくれながらホッドドッグを買うんだとか、帰り際によく近くのセブンイレブンでおにぎり買ってるとか、なんだとか。
全部全部、私の全く知らない情報だった。それに対して「へえ」とか「ふーん」とか、興味のないような相槌しかできなくて溜息が出そうになる。よく知ってるなあ、よく見てるなあ。それくらい好きなんだねえ。‥でも、私だってそれ以上に好きなんだからね。木兎先輩のこと。

「あーもう分かった分かった。取り敢えずさっさと着替えなって」
「先輩、ほんとに付き合ってないです?」
「だから付き合ってないってば」
「よかったあ。じゃあ私狙っちゃお〜」

え。ちょっと待って。今のって友達の話しじゃなかったの?井上の話しだったの?

嬉しそうに足を少し弾ませながら、足取り軽くるんるんとスキップしだした井上の背中が遠ざかっていく。おかしいな、だって、1年生の間でも結構人気なんですよって、‥その言い方って普通自分のことは入れないでしょう。人気とかなんだとか言われるよりも、知っている子に(しかも後輩に)、「狙っちゃお〜」なんて言われたら酷く焦ってしまった。‥やばい、顔に出てないことを祈る。

「‥でも、木兎先輩あの子振ってたよ」

ぼそぼそ。聞こえない距離で、聞こえない声量で、つい悪態をついてしまった。最悪だ、嫌な奴だな、ほんとにないわ。ハッとして口を噤んで、後悔しながらズキズキする部分を抑えなおす。あの子振ってるなら、井上だって振られるかもよ、‥って考えちゃうのは心の狭い奴だ。つまり私のこと。

「やだなあ‥」

好きだから、先輩が誰かと2人きりで一緒にいるのを見るのは嫌だ。
好きだから、別の女の子との噂を聞くのは嫌だ。
好きだから、他の誰でもない、私と一緒にいてほしい。
‥でも、これって自分勝手な只の我儘なのだ。

ぼんやりしながら、全体練習に入ったチームを見つめる。フォーメーションも、タイミングも、ばっちり良い感じ。大会や、どこかの運動部の応援会場にいるイメージをして、ここからさらにどうすれば纏まるかを考えた。いや、そうやって別のことに集中していないと、すぐ井上が言っていたことを考えてしまうから。

最初に先輩と出逢った時より、さっきよりもずっと、1秒前よりも。それくらい先輩のことが好きなのが段々と悔しくなってきた。だから、後輩の言うことにも一々反応してしまうんだ。‥そう私が思っていることを、木兎先輩に伝えた方がいいのだろうか、それとも、心の中に留めたままの方がいいのだろうか。

「‥っていうかもしかして、」

私さっき井上に釘刺された?「付き合ってないならいいですよね!」的な?

どくどくと血が逆流しているみたいで、とても落ち着いてはいられない。フォーメーションが変わって、1番前に井上が躍り出る。自信満々に魅せる笑顔が可愛いことが、今だけは少しばかり気に入らなかった。

2019.03.27

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