赤いランプが暗い廊下に怪しく点灯している。ぞっとするくらいに真っ赤で、なまえが口から溢した赤が離れてくれない。
俺は初めてバレーの練習を休むという選択をした。取り敢えず、なまえの容体がどうなのか分かるまでは。多分この状態で練習に行ったとしても全く集中できないだろうし、逆に周りに心配をかけてしまうから。なによりも怖いのだ。俺がいない間にもし、‥もしもだ。なまえが「こっち側」に戻ってこなかったりしたら。そうしたらきっと俺は後悔する。それこそ、バレーボールに手がつけられなくなる程に。

「あ、‥影山、飛雄、」
「‥!」

バタバタと誰かが走ってくる音。それが近付いてきてここに向かっているということに気付いた時、その人達は廊下の突き当たりから顔を出した。誰だ?と思ったけれど、すぐに思い出す。どっちがどっちだったかイマイチ思い出せないが、なまえと一緒のバンドをしている宮侑と宮治だ。あと一人は知らねえ奴けど、多分関係者だろう。そこまで思考が回って、その後に真っ白になった。思い切り拳を握って、トスをあげる為の手を初めて暴力に使ってしまう。振り上げたそれが近付いてきた金髪の方の頬にヒットして、吹っ飛ばされた拍子に近くの壁に激突した。

「イッ、テ‥!?」
「なんで黙ってた!!?」

しんとした廊下に響いた声は自分でも驚くほど涙声で、そこで自分が初めて泣いていたことに気付いた。手が痛い。大声で叫んで酸素を失った肺が痛い。なによりもなまえの余命がもう僅かなのだと先程知らされた俺の心臓が、押し潰されそうなくらいに痛かった。
本当は、黙っていたことを咎める相手が目の前の男達ではないことくらい分かっていた。だけど今、それをなまえに聞くことはできない。‥こんなの、ただの八つ当たりだ。それを理解していても俺は止まらなかった。

「知ってたんだろ!知ってて歌わせてたんだよな!?お前も、お前だって!!」
「ちょっと落ち着けや、あのな、」
「どうして止めなかったんだよ!!」
「止められんのやったらとっくの昔に止めとるわ!!」

金髪の男の方が、奥の窓ガラスをびりびり震わせるくらいに叫ぶ。止めとる、って、どういうことだよ。‥どういう意味だよ。もしかして、なまえ自ら突っ走ったってことなのか。練習も、録音も、ライブも。‥全部分かってた上で?
男の様子を見れば分かった。ぎゅうぎゅうと眉間に皺を寄せて、俺と同じくらい怒ってる。その後ろにいる同じ顔をした奴も、関係者みたいな男も、なにかを抑えるみたいに唇を噛んでいた。

「意味‥分かんね‥なんで 止められなかったとか、命かかってんだぞ!!」
「‥お前がそんなこと言うたらアカンやろ」

同じ顔で同じ声で、だけど金髪の男よりも少しずつだけ穏やかそうに口を開いた男が小さな声を上げる。その中に怒気を含んでいるような気配があった。刺さる視線が痛いけれど、‥俺がそんなこと言ったらダメっていうのは、一体どういうことなのだろうか。もしかしたら、俺のせいなのか?だとしても一体何がいけなかったことなのか、俺の中で思い当たる節なんて一つもない。

「なまえの病気は、声帯を取らんと駄目なんや。‥何度も言った。声がなくてもええ、お前なら良い曲書けるし、治る方を選べって。でも、アイツ選ばんかってん。なんでか分かるか、お前」
「んなもん分かるかよ!」
「お前がなまえの声、好きや言うたからや」
「‥は、」
「お前が好き言ってくれたモンを失いたくなかった、‥ってことやろ」

なんだそれ。‥なんだそれ、自分の命よりも、俺が好きだっていった声を選んだってのか、なまえは。声なんかなくたって俺はもうなまえが好きだっていうのに、‥命よりも声を選んだってのか‥?

「‥‥‥んだ、それ、」
「全部お前の為に選択したんやぞ‥そんな、怒ってやるなや‥!」

彼の右頬を流れた滴は静かに落ちて、床に水滴を作る。嘘じゃない。そんな、嘘を付く理由だって多分この人達にはない。俺と同じように、怒ったんだ。なまえに対して、それこそ殴りかかりそうな勢いで。

「アイツが首を縦に振らんかったんはお前のせいやろが!!」
「おいやめろ侑」
「嘘、だろ」
「影山く‥」
「なんだ‥俺、馬鹿、みたい、だ ろうが、」

もうずっと気付いていた筈だったしゃがれ声。大丈夫も、薬の効果も、何も信じてやるべきじゃなかった。無理矢理にでもやめさせるべきだったのに、俺がそうさせなかったのも原因じゃないか。今床を叩いたところで、壁を蹴飛ばしたところでなにも現状は変わらない。どうしたらいい、どうすればなまえを助けられる?

‥泣かないで

酷く優しい、陽だまりみたいな俺の好きなハスキー声が聞こえて顔を上げた。だけど、そこには誰もいない。俺達四人だけだ。空耳か?そう思ったけど、あれは確かになまえの声だった。俺が間違えるはずない。赤いランプが灯るその扉に駆け寄って、無機質で冷たいそれに触れる。

「‥‥ッ」

何もできない自分が、ただただ悔しくてたまらなかった。