夢を見た。
‥声が出せなくなる、夢だった。

「‥なまえ汗びっしょりやぞ。大丈夫か?」
「だ、だいじょうぶ‥」

短く息が切れるのも、心臓がばくばくしているのもその夢のせい。吃驚した。とうとう声が出なくなったと思って、目の前が真っ暗になったと思ったら、目の前に現れたのが治の心配そうな顔だったのだ。
今日は3rdアルバムの発売日。でも、発売日だけど、まだ世にその情報は発信していない。その理由の一つには、ついこの間2ndアルバムを出したばかりだから、ということがある。あと一つは、単純に吃驚させたかったから。人通りの多い大きな繁華街のミニステージで急に爆音を出せば嫌でも気付くだろう。私達がここに居るということに。それで発信できればそれでいいのだ。ゲリラライブというのも、随分と久しぶりだ。

「無理すんな。別に今日やなくても、明日でも明後日でもやれるんやから」

「ゲリラライブにしよう」と声を上げたのは侑だった。私の体調が良くないから、いつでもすぐやめられるように誰にも発信しなかった、ただそれだけのこと。たくさん色んな人を巻き込んで、いざ出来なくなった時に迷惑をかけたくないからと無理をするのがお前だからだって、そういう風に組むことにしたのだ。でも私の中では既に「今日絶対にやる」って決めていたから、何が起こったって音を届けるつもりだったし、大丈夫なのに。

「途中でおかしいと思ったら俺が止めるからそれまでは全力でやれ」

人にとても恵まれて、こうやって生きているんだなあとしみじみと思う。車を運転する永田さんの言葉に一つ頷いて、大きく息を吸って吐くと、「着いたぞ」と車が停まった。近くの扉から入って、今回協力してくれる顔見知りの音響さんやイベンターの人に挨拶をしながらステージに登る。一番最初にライブしたような、小さなステージだけど、薄い緞帳の先には人の声や騒音、たくさんの音がした。
‥知ってる。この感覚を。昔、お母さんに外へ連れ出された時に見た。そして、その歌っていた女の人側の場所に私は立っているのだ。

「‥私、小さい頃外に出るのが嫌いだった」
「?」
「ざわざわしてる人の声とか、車の音とか、騒音とか嫌いだったの。言い方悪いけど耳障りっていうか。家の外にいても中にいても聞こえるじゃない?」
「あー、まあ分からんでもないわ」
「でね、お母さんに服買ってあげるから一緒にお外行こうって言われて無理やり連れ出されて、そこで初めて見たんだ。人が外で、大声で歌ってるの。一瞬で耳障りな音消えて、眩しくて、輝いてた」

嫌なことがあっても、歌を聞くだけで幸せになれる人がいればいい。そういう気持ちで始めたら、たくさんの人が協力してくれて、そして今がある。

「侑と治が私のこと見つけてくれたから」

暗いステージの上で機材を準備し終えて、相棒のギブソンを持つ。一瞬止まった空気は無表情で、なんの香りも持たなくて、酷く静寂だ。音響さんがマイクを立てながら柔く笑っている。周りから見たら「とっても仲が良いバンドだな」とか思われてるのかな。実際言われるし、実際そうだし、間違ってはいない。でも違う。今の言葉に優しさは含まれていないのだ。

「‥言っとくけどなあ!俺は!お前やなかったら声掛けてへんのやからな!!」
「ちょっ‥やめてよそのマイクもう入ってるってば、!」
「すんません、もう緞帳上げてくれます?」
「え、私まだ準備できてな」
「なまえ、ステージの向こう側騒ついてんで。侑が大声出したからな」
「うっさいわ!」

にやにや笑う治のせいで、言われるままに緞帳がゆっくり上がっていく。こっそり後ろで様子を伺っている永田さんなんかずっと笑いっ放しだ。音出しもしてないのに、立ち位置もちゃんと決まってなくてマイクも調整中なのに、ゆっくりゆっくりと太陽の光が差し込んでくる。眩しいその目の前に広がる人の波の中で、確かにたくさんの人が立ち止まっていた。

「‥え!?やっぱ侑の声じゃん、嘘、」
「本物だよね‥?なんでここに」
「なに?!ゲリラ?!やばい、ちょっと待って、」

凄い勢いでスマホをかざされてる。多分、撮られてる。拡散される。でもそれでいい、それが狙い。でもまだちゃんと頭の中を出来てないから、伝える為の言葉は纏まりなんかあってないようなものだ。

「伝える言葉なんていらんやろ」
「‥え?」
「なまえには歌があるから」

2人の視線は、今までで一番優しくて、無性に泣きたくなった。

す う、

肺いっぱいに空気を吸い込んで、目を瞑る。頭の中に蘇る記憶を、全部飛雄君との想い出にした。彼の為に作った曲、彼を愛していた曲、愛する人がいる全ての人に何かが伝われば。‥そして、飛雄君に届いてくれれば。

2019.08.02