今作ろうとしているアルバムの録音ペースは、かなり順調に進んでいた。そのおかげもあって私の出番も今日で終わり。だけどそれに比例して、少しずつ体力が衰えていっているのも感じているのも確か。一曲フルで歌うだけでもかなり体力を使っている。一々休憩を挟まないと、満足できるような歌が撮れなくなってきていたのだ。周りはそれを「ただの不調」だと捉えている分、まだマシなのだけれど。

「お疲れ。迎え‥はもうちょいか」
「‥ね、もうパソコンに届いてるって。ジャケットデザイン。見たい」
「それよりも飯。あとなんか飲む。薬」
「分かってるってば」

大きく溜息を吐いた治が、持ってきていたノートパソコンを開く。そのついでにとばかりに侑が隣に置いた高級そうな袋の中には、永田さんが先程持ってきてくれていた「身体に良い、喉にも良いお弁当」が入っている。過保護。‥とは言わないけれど、なんだか私は子供にでもなったみたいだ。世話を焼く3人はまるで親猫みたいで、苦笑いが出てきてしまう。

「これで一旦はオフ取れるなあ‥誰かさんのせいでスケジュールしんどかった」
「あの人らが閃光のレコーディング率先して受けてくれたからこっちの我儘も通ったんやで」
「2人ともありがとう。あとでエンジニアさん達にも改めてお礼しなきゃ」
「‥にしても、贅沢やな。影山飛雄」
「せやでホンマに‥前世にどんな得積んどんねん」

ぶつくさと文句を垂れる2人の顔は、やっと一山超えて取り敢えず安心、というような様子だ。そりゃそうだ。侑も治も私が少し休んでる間も寝ている間も、時間を惜しみなくアルバム制作の為に時間を費やしていたのだ。その理由はもちろん、私がこんな風だから。無理をしすぎないように、彼等が色んな業務や連絡を背負ってくれたから。

今日は、ここまで飛雄君が車で迎えに来てくれるらしい。というのも、彼が全日本の選手として初めて出場する試合の前日で、少しでも身体を休められるようにとオフになっているそうだ。2人でいるところなんて、侑にも治にも見られたことがなかったから少し恥ずかしいけれど、もう公になっているから隠すことでもない。恋をしたばかりの小さい女の子でもない癖に、心臓がとくとくとずっと動いている。飛雄君のことを考えるだけで、まだ私は純粋な乙女みたいになれるのだ。

「ホラ」
「あ、ありが‥」

ノートパソコンを開いて、メール画面に見慣れたデザイナーさんからのメールアドレス。カチカチと操作をすれば、ダウンロード画面になって、そしてファイルが開いた。目の前にぽんと表示されたデザインは、とってもシンプルな黒背景にキラキラが散りばめられたようなカラフルな光の粒。真ん中には小さくアルバムのタイトルが表記されている。でも、多分しっかり見ないと分からないような加工が施される予定だ。

「‥綺麗」
「こうしてほしいって言っとったのなまえやん」
「うん。でもやっぱり思っていた以上の物が形になって返ってくると感動だよね」

このアルバムは、私の我儘を詰め込んだ、飛雄君に向けて制作されたアルバムだ。もちろん世の中に出す作品にはなるけれど、どんな物だって、誰かに伝える為に作られる。今回のこれは、それがたった1人、最愛の人に向けられた物。自己満足だとは思う。‥でも、形に残しておかないと、きっと1番後悔してしまうのは私なのだ。

「あ、来たみたい」
「飯。俺の持ってってええよ、影山飛雄と一緒に食べえや」
「いいの?」
「その代わりちゃんと食えよ」
「うん。ありがと」
「で、明日は?」
「12時!」
「‥幸せそうやな」
「ふふふ。じゃあ、明日ね」

翌日の試合は、侑と治が一緒に付き合ってくれる。もちろん私の身体を心配してくれてのことだし、有り難いことこの上ない。初めての生の、飛雄君が出る試合を見るのは初めてで少し緊張してたりするけど、それ以上に楽しみで仕方がなかった。

扉を開けて、すぐ傍に止まっている黒に近い藍色の車の中に、スマホを弄る彼の姿がある。いつものジャージでもなくて、部屋着でもなくて、ちょっとだけオシャレを意識しているらしいピンストライプのジャケットにちょっと驚いてしまう。なんだかまるでデートみたいだなと、どんどん顔が綻んでいった。

「おまたせ」

コンコン、と運転席側の窓を叩く。すると私に気付いた飛雄君が振り向いて、ほんのりと目尻を落として笑ってくれるのだ。初めて会った時よりも、付き合い始めた時よりも、ずっとずっと柔らかい顔をするようになった彼とずっと一緒にいれればきっとずっと幸せなのだろう。急いで反対側の助手席へと戻ると、彼は「お疲れ」と一言、私の右手をゆっくりと掴んだ。

「今日は何してたの?」
「トレーニングして部屋掃除してた」
「ええ?折角の休みなのに全然休んでないじゃん」
「いーんだよ。つーか、それなんだ?」
「あ、お弁当だって。貰ってきちゃった」
「ならどっか海沿いでも行って食べるか」
「うん。ていうかなんか今日いつもと違うね。もしかして月島君の入れ知恵?」
「‥入れ知恵ってなんだよ‥」

だって、大概そういうオシャレそうな感じの服とか着てる時「月島って奴が選んだ」って不服そうに言ってたもんね。確か、この間も水族館に来てた眼鏡の男の人だった筈だ。仲良くないとか言いながら、ちょくちょく連絡は取ってるみたいだから男の子って不思議だ。

シートベルトをカチリと着けたタイミングで、エンジン音が鳴る。

「なまえって俺の話したことよく覚えてるよな」

当たり前じゃない。忘れるなんて、勿体ないもの。

2019.07.06