2人の休みが2日も被るなんて久しぶりだ。隣で心なしかそわそわしている飛雄君がじっと見つめている先はすぐそこで泳いでいるイルカである。
私と飛雄君はそんな休みを使って、休館日であるはずの水族館に来ていた。周りには誰もいない。餌や掃除をする為に数人だけが水の中に潜っているだけだ

「清水さんって言うんだっけ。ここ貸切にさせてくれたの」
「高校の時にマネージャーだった人なんだけど卒業してここに勤め出したらしくて。言ってみるもんだよな‥」
「ごめんね‥外で堂々と歩きたいんだけど落ち着け無さそうだったから‥」
「いや、俺も2人の方がいいし好都合だった」

一歩外に出れば、私も飛雄君も何かしら声を掛けられる。最初こそ嬉しい気持ちが大きかったけど、やはりプライベートなんだから2人の時間を邪魔はされたくないものだ。
通るかは別として「水族館に行きたい」という私の希望。そもそも全国的にも水槽が大きくて珍しい海洋生物がいることで有名なここは、ずっと人でごった返していることはニュースでも聞いていたし、多分行くのは難しいかも、なんてことも考えていた。だけど奇跡的に、ここで高校の頃の飛雄君の先輩が働いていると言うから、ダメ元で掛け合ってみたのだ。休館日にどうしても行きたいと。

「館長と掛け合ってみる」

そんな連絡を受けたのは、その日の内であった。分からないけど、どうやら清水さんは仕事の出来る人らしく、働いている全ての人を統率しているようなポジションなのだそうだ。役職名を聞いたはずだけど、もうすっかり忘れてしまったのでここは割合しておくが、飛雄君からも頭の良い人だと聞いているし、もしかしたら‥?なんてことを考えていたら翌日の「いいよ」である。そんな簡単に!?とは思ったけど、どうやら館長さんが大層飛雄君のファンだそうで、特別に許可をもらう事ができたとのことだった。その代わりにサイン色紙のプレゼントをするという条件付きだけど。

「触りてえ‥ヌメヌメしてんのかな」
「触るのはその清水さんが来てからでしょ。だーめ」
「分かってる‥うお、こっち見てる!」

子供みたいな飛雄君の目が光っているのは、確かにイルカがこちらを見ているせいだろう。小首でも傾げそうなつぶらな瞳のイルカに、私もついつい触りたくなってしまう。早く清水さん来ないかな‥。どんな人か分からないけど、きっと素敵な人なんだろう。飛雄君の青春時代を見て、共に過ごしてきた人。‥それってとても羨ましい。

「ん?」
「‥飛雄君って高校の時モテた?」
「急になんだよ」
「だって絶対高校でも超真面目にバレーやってたでしょ?部活一生懸命な男の子って絶対モテるじゃん!見たかったなあ‥」
「モテた記憶とか別にないけどな」
「えー?ほんと?」
「そりゃあ何人かと付き合ったりしたことはあったけど、そういうのはモテるとかモテないとかではないだろ」
「‥確かに」

私のちょっとした嫉妬心は、彼には全く届いていないようだ。でも多分本人は分かっていないだけで、隠れファンみたいな女の子はなんとなくだけどたくさんいたんじゃないのかな?そういう鈍感そうなところも含めて、私は飛雄君のこと好きだって思っちゃってる訳だし。

「‥飛雄君?」

見上げた先の綺麗な顔は、いつの間にかイルカから私へと向けられている。どうかしたんだろうかとじっと見つめていると、ゆっくりと顔が近付いてきた。握っていた右手にきゅっと力が入って、屋内とは言え家の外だから少し緊張してるのかな、とか思ったり思わなかったり。髪の毛を揺らした冷たいシステムエアコンの風は、熱を冷ますかのように吹き続けているのに、全く熱が冷めることがないのだから不思議だ。

「影山、ごめん遅くなった」
「あ、お久しぶりです、清水先輩」

優しく触れるだけのキスをして頬っぺたを緩ませていると、その数分後に後ろから女性らしき声が聞こえてきた。やば、今の見られてなかっただろうか。恥ずかしさと焦りが込み上げてつい俯いてしまいそうになるのを堪えていると、すっきりとした甘みのある匂いが鼻の辺りを通過していった。

「初めまして。清水潔子です」
「初めまして、苗字なまえです、あの、この度は身勝手な我儘にも関わらず誠にありがとうございました‥!」
「とんでもないです。これフードコート内で開発中のオレンジピールのジュースなんですけど、よかったら」

成る程、さっきの甘みのあるような匂いはこれだったらしい。オシャレで透明なカップに入ったそれは、綺麗なお花が一本差し込んであって、インスタ映えしそうである。なんだか何かのイベントにでも来たみたいだ。こちらから頼んでいる身でそんなことまでして頂いて申し訳ない、と思いながらありがたく受け取っていると、清水さんは私と飛雄君の顔を交互に見て、何かそわそわしているように、ちょっとだけにやにやしながら笑った。

「影山、今更なんだけど結婚おめでとう」
「うす、あざっす!」
「‥あのね。実は今日、来てもらってる人達がいて。だからゴメン、貸し切りって訳じゃなくなったんだけど」
「え?」
「‥皆影山のこと好きみたい。お祝いしたいって」

後ろ見て。そう言って指を私達の背中に向けた清水さんに釣られるように影山君の顔が動く。声に出さずとも分かる、飛雄君が驚きのあまりに固まっているのを。
‥もしかして高校時代のチームメイトということだろうか。

「影山」
「な、」

基本カジュアルだけれど、少しだけ正装を意識したようなジャケットを来た飛雄君のチームメイトさん達は、嬉しそうに飛雄君の周りに集まってくる。1人だけ女の子が混じっていたが、どうやら同時期にもう1人いたマネージャーさんらしい。後ろからそっと声を掛けてきた清水さんが教えてくれた。
隠しきれていない嬉しそうな顔と、恥ずかしくて眉間に皺が寄り過ぎた顔がぐっちゃぐちゃになっている。時折聞こえてくる言い合いもまた、高校生出会った頃の彼を垣間見ることができているのかもしれない。

「影山、嬉しそう」
「本当ですね。‥ありがとうございます、こんなに素敵な企画まで組んでもらっちゃって、」
「いえ、こちらこそ勝手なことして申し訳ないです。‥でも、影山は自分のことっていうよりも、貴方と一緒になれたことを皆が喜んでくれていることがすごく嬉しいんだと思うから‥」

参加か不参加かのメール送ったら、その日のうちに皆から参加のメール来るんですもん。笑っちゃいました。‥って、思い出し笑いが止まっていない。彼はきっと、その3年間で随分と密な時間を過ごしてきたのだろう。色んな人から肩を叩かれたり背中を叩かれたり、ちょっとだけ痛そうだけれど全く嫌ではないのが見てても分かる。

「‥ごめんね」

私は飛雄君の最期の時まで一緒にはいられないけど、こんなに彼を慕ってくれる人達がいるなら大丈夫。至極最低で、自分勝手なことを考えているのは分かっているけれど、‥そう思わずにはいられなかった。

2019.05.31