「メジャーデビューか」

お互いの空いた時間を割いて、今日は私の部屋でご飯を食べようということになったその夜。永田さんを含めて、侑と治とレコード会社でたくさん話し合ってまるっと1ヶ月、お互いが納得する形で晴れて契約となったのでそれを改めて飛雄君に話そうと思った。‥そのすぐ後の声がこちら。あんまり驚いてない様子が(まあ元々音楽で食べていくんだっていうのは話してたから当たり前といえば当たり前)、なんとなく変な感じだった。感情に一々起伏があるような人ではないことは分かっていたけど、‥なんかこう、もうひと押しくらいの驚きが欲しかったというか。‥私の我儘だけど。

「あ、‥あの、飛雄君もしかしてあんまり嬉しくない‥?」
「なんで?」
「なんか反応薄いなって‥」
「俺はなまえの声すげー好きだし、当然の結果だと思ってるだけだ」
「‥へ、」
「1つ言えることがあるとすれば、もうなまえが俺のモンだけじゃなくなるのはなんか寂しいよな」
「え‥い、いいいや言い方‥」

作り立ての大根と鶏肉の煮込みを食べながら、なんなら「美味え」って言いながら、私のことを当然のように褒めて、当然上へ行ける奴だって言う。‥飛雄君のそういうところ。こっちが不安だなって思っていたことを、不安なんてなんにもないだろって言い放って、心から重荷とか考え事とか全部吹っ飛ばすその威力。悩んでいたのが馬鹿みたいになって、ついふふふって笑ってしまうのだ。凄いね、飛雄君って。‥本当に凄い。

「そうだ。俺も今日言おうと思ってたことあるんだけど」
「え?なに?」

一旦お茶碗の中身が無くなったところで飛雄君がお箸を置いた。恐らくお母さんのしつけが良かったのだろう彼は、いつも箸を置く場所が決まっている。ちゃんと話しをする時は、絶対器のフチに箸先を立て掛けているのだ。いつも思ってはいるけど、今度こそちゃんと可愛い箸置き買っておかないとなあ。

「来月から全日本入り決まった」
「へ?‥‥へっ!?」
「そんな驚くかフツー‥」
「まっ待って待って全日本!?男子バレーの?す、凄いじゃんおめでとう!」
「おう」

全日本って、‥日本の代表って言う意味で合ってるんだよね‥?なのに飛雄君は飄々としていて、でもやっぱりどことなく嬉しそうだった。ああ、そうだった。彼は頭のてっぺんから足の先まで、何から何までバレー一色だった。彼には全日本ですらきっと通過点で、まだまだ先がある。そう考えるのはきっと難しいことなのに、飛雄君はやってしまえるのだから、‥本当に凄い人で、尊敬できて、それが私の好きな人で、今は両想いだなんて‥とても贅沢だ。

「‥って!もっと早く聞いてればもっとご飯豪華にしたのに!」
「?ちゃんと美味えけど」
「そうじゃなくて!こう‥なんかこう、あるんだよ!気分的に!」
「温玉ポークカレーとかか?」
「も〜、‥もお、ぶふふッ」
「なんだよ」

そうじゃないのに、飛雄君はそれが良いんだよとか言いそうだからつい笑ってしまった。いいよ。飛雄君が喜んでくれるならなんでも。そう思って、今度からはちゃんと早めに報告してねって笑っていると、箸を掴んでいた手首を掴まれた。痛くはないけど、しっかりとした力で。

「まだ話し終わってねえんだけど」

さっきよりも随分と硬い声だった。緊張しているみたいで、きょとんとする私の目にもそんな緊張が出てしまっている顔であることがよく分かる。なんで、そんなに緊張する必要があるんだろう。もう付き合ってから随分と経つ。まだお互いの全てを知っている訳ではないけれど、ある程度の周知をしているくらいには。部屋にはもう飛雄君の物が所々に置かれているし、お揃いのものだって、

「多分これからお互い忙しくなってくるだろ。俺は会えない時間が増えるのは嫌だ。だからって練習に穴を空けることもしたくない。だから、そうなるんだったらもういっそ一緒の場所に居た方がいいんじゃねえかなって思うんだけど」
「確かに、ん?いっ‥え?同棲したいってこと?」
「同棲っつーか、結婚」
「はっ!?」

お箸が床に転がった。からんからんと音を立てて、机の下を通って、壁にぶつかって止まっている。
結婚の意味は、‥流石に飛雄君だって分かって言っている筈だ。‥よね?少しだけ不安になって、ゆらゆらとする黒目を上げて飛雄君のそれと重ねてみる。いつもの真っ直ぐとした瞳にどうやら冗談のような影はない。んん、これはプロポーズをされているのだろうか。ぜ、全然ムードない‥!吃驚するくらい普通で、‥敢えて言うなら飛雄君が少し緊張しているのが分かるくらい。

「嫌なのか?」
「そうじゃなくて!いやあの、飛雄君らしいと言えばそうなんだけどちょっと今心の整理が追いついてなくてですね、」
「メジャーデビューがどんなもんか知らねえけど、なまえのことを好きになる奴がこれからもっとたくさん増えるんだろ。嬉しいけど、それでもなまえが俺のモンだって胸を張って言える証拠がほしい。いや今でも充分言えんだけど、紙切れ1枚でもあれば誇示しやすいしな」

誇示って、いやいや凄いこと言うな。‥なんて思いながら、ぼわっと頬っぺたが赤くなっていくのが分かってつい下を向いてしまった。どうしたんだ?って声が聞こえるけど、それはこっちの台詞だ。なんでそんなに冷静でいられるの。どうしてそんなこと言うの。‥そんなこと言われて、私がいいえなんて言うと思ってるの?飛雄君とずっと一緒に居られるなんて、‥結婚だなんて。

「‥つーか、断られたら指輪出しにくいんだけど、なんか言えよ‥」

もう、ほんとおばかさん。そんなの最初から出すのが相場なんじゃないの?結婚なんかしたことないから分かんないけどさ。

「ふふ、‥ふふっ」
「あ?」
「指輪、見ていい?」
「いや返事が、」
「そんなのもう決まってるよ」

じっとりとした逆三角形の目が丸くなって、漆黒の瞳にどことなく柔らかい色が見えた。ほんと、下手くそ。‥でも、そういう不器用なところが、彼の好きなところで、私が愛おしいと思っているところなのだ。

2018.10.24