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「好き」と言える関係になるのも、その関係を保つのも中々に難しい。だって、遠すぎてもダメだし、近過ぎても今更って感じがしない?休憩時間に淹れたての珈琲を1人で飲みながら、パソコンの前でぼんやりすること数分。いつの間にか画面に打ち込んでしまっていたらしい「及川徹」という文字を視界に入れて、我に返って慌ててデリートボタンを押した。ってしまった、全部消しちゃった!‥まあ打ち込み始めたばっかだったしいいか。またページ作ろう。

入社して3年、言わば仕事に慣れて随分落ち着いてきた頃だ。残業だってお手の物で、言われなくても「まずいな」と思ったら率先してやって、「残業代出るしいいか」って呑気に考えられるようにもなった。あとは、彼氏でも出来たら毎日充実しそうなんだけどな‥。彼氏候補なんて1人しか考えられないんだけど。

「あれ、苗字。なんでまだいるの?」

あぶな。本当に危なかった。さっきのパソコン画面見られたら「なんで俺の名前?」って聞かれる所だった。私と同じ時期に入社してきた彼は、もう既に私とは違う部署に配属され、随分と良い成績を残しているらしい。おまけにイケメンだという外見の良さも相俟って、上層部の綺麗なお姉様から可愛い後輩にまで大人気なのだ。神様は「平等」という言葉をし知らないらしいと、及川君の存在を知ってそう思った。っていうか「なんでまだいるの?」って、なに?

「俺今日半休なんだけど」
「えーそうなんだ‥」
「お前も半休じゃないの?」

え?そうだったっけ?ちょっとよく覚えてないからとスケジュール帳をめくってみると、確かに今日の日付に赤丸がぐるぐると囲ってあった。いやまてよなんかあったんだっけか?‥そういえば今日は、私の好きな、海外から初めて日本に進出してきた新しいカフェが近くに出来るってことを聞きつけて、数週間前から半休取ったんだった。しまった。なんで忘れてたんだろう。‥そしてなんで、及川君がそんなことを知ってるんだろう?

「はあ?ちょっと待ってマジでふざけてんのお前」
「え、ごめんなんの話し?」
「今日。14時から。パンケーキ」
「‥あ!!」
「冗談だよね?俺今日時間無理矢理空けたんですけど!」
「ご、ごめん!ごめん!!ちょっとぼーっとしてて!すっかり忘れ‥やばい!すぐ出る!」
「及川さん誘っといてそれを忘れる女の子なんていないよ普通!」
「その基準おかしいけどすみません!」

そうだった!と、慌てて鞄に荷物を詰めて、薄手のアウターを肩に引っ掛けて、ぴかぴかと光っていたパソコンの電源を落とす。さっきやってた書類だって、明日で全然間に合うからいいやとばかりに保存もキャンセルした。でも、今日を忘れてた理由が、ずっと及川君のことを考えてたからです!なんて言える訳ない。そんなことを言える程、遠い関係ではない。むしろ、私達は吃驚するくらい近くなってしまったのだ。肩がぶつかりそうな距離で飲めるくらいの仲、及川君相手なら暴言だって愚痴だってなんでも吐けちゃうし、女の子とは程遠い態度だって取れるようになってしまうくらいの間柄になってしまったせいで、今更好きなのとか付き合ってとか、‥言い辛い、というか、言えない‥。

「‥俺ここまで来なかったら絶対忘れてたよね?酷くない?」
「ごめんって〜!今日のパンケーキ奢るから!」
「奢らなくていいけど。‥じゃあちょっと我儘聞いてもらおうかな」
「え〜‥」
「どっちが悪いと思ってる?俺?お前?」
「‥1個だけだからね‥」
「だからお前がそれを提示してくんのはおかしいでしょうが!」

嘘。及川君の我儘なんて、私多分全部聞いちゃうよ。「もう金輪際関わるな」っていうお願い以外なら。ぷんぷん怒っている彼は私の隣を歩きながら、どうしようかなあと一言だけ零して、今度は打って変わって嬉々としながらスマホを弄っている。
なんだかんだと彼は、誘えば絶対に来てくれる。それが飲みだとしても仕事の悩みの相談だとしても、ほんっとにくだらないことでご飯食べに行きたいっていう連絡だとしても。その度にちょっとだけ「またかよ」って顔をするけど、心底嫌そうな顔をしているのは見たことがなかった。それが全員に対して同じだからこそモテるのであろう。‥分かっている、それが及川徹という男なのだ。

「及川君ってさ、誰に対してもそんなに良い顔してたら疲れない?」
「なにさ急に」
「いや、私が誘っといて言うのもなんだけどさ。他の子に誘われても絶対断らないでしょ?だから大丈夫かなあと」
「‥え、なに、俺お前以外のお誘いなんて受けたことないけど」
「‥‥‥は ?」
「その反応おかしくない?ねえ?」

だが、どうやら私の解釈はかなり間違っていたらしいことを今ここで知った。とんでもないものを見るような目で私を見つめる目は、私のことを軽蔑しているみたいだ。だって、及川君モテるじゃん、女の子だってたくさん周りにいて、それなら絶対に遊んでるじゃん?‥でもそもそもそれは、私が勝手に考えてしまっていた彼の姿だったらしい。

「勝手にサイテー男にするなんて酷い女だね、お前」

3年。その期間は長いと思っていた。いや実際はそこそこ長いんだと思う。だけど、人と付き合って行くにはとても短くて、彼のことを知るにはまだまだ足りないようだ。

「そこまで言ってないよ私」
「いーやそういう風に聞こえたね」
「‥だって及川君モテるでしょ」
「否定はしないよ」
「それはそれで腹立つ‥」
「だけど俺だって選ぶ権利くらいあると思うし、」
「そうですね‥」
「‥そもそもこの状況で選ばれてるっていうことが分かってないのもどうかしてるよお前」

最後の方、騒音で消されてるのと、及川君の声が小さすぎるのとで全く聞こえなかったんだけど、と。一歩が大きい彼の背中を追いかける。今なんて言った?って言う前に、‥というわけで我儘その1、ここ行きたい。と提示されたスマホの画像には、とってもステキな温泉と宿が映し出されている。目が点になって、ぼぼっと急に熱くなった私の頬っぺたに笑った及川君はやっぱりサイテーだよ。私達まだ、そんな関係じゃないんだから!

2019.04.12

あげは様リクエストで及川徹ともどかしい両片想いのお話しでした。素敵なフリリクありがとうございました!