LEFT BEHIND 12


 酸素薬の材料は幸いにして比較的育てやすいものが多いらしい。顔を上げたナマエはテーブルに積み重ねた読了済みの本を一瞥し、杖を振った。すると本はふわふわと浮いては元々置かれていた場所に戻っていく。
 彼女の次なる目的地は東校舎の三階だ。
 ホグワーツ内には“姿くらまし”も“姿現し”も使えないようにする魔法がかけられていたが、ナイトレイブンカレッジにはそれらを妨害する魔法はもちろんなく、大変便利なことにどちらも使用できる。そのためこの移動手段を乱発している自覚はナマエにもあるものの、ただでさえ忙しい雑用係には持ってこいの便利な魔法だった。
 名残惜しいが、彼女に与えられた早めの昼休みはそろそろ終わってしまう。図書室から校舎内に“姿現した”彼女はクロウリーに頼まれていた仕事を始めるために廊下の隅にある用具入れからモップやバケツ、そして雑巾を取り出した。無論、自らの手は杖を振るだけだ。

「ナマエじゃないか」

 突っ立ったまま作業を続けるナマエに、教室から出てきたリドルが声をかけた。ようやく午前の授業が終わり、わらわらと教室から飛び出す生徒たちは昼食のことしか考えていないようだ。しかし、彼女の存在に気がつくなり身だしなみを気にする生徒が数名、リドルを羨ましそうに見つめる生徒が数名。多くはなくとも、いるにはいる。
 ナマエが笑いかけると、リドルも相好を崩した。「なんでもない日」のパーティーに正式に招待されて以来、彼らは以前よりも親しくなっていた。というか、生来世話焼きで弟がいた彼女にとっては年下の男の子は弟のように思えて仕方がないのだ。

「早く食堂に行かないと席がなくなっちゃうんじゃない?」
「問題ないよ。ナマエも誘いたいところだけど……その様子じゃ、無理そうだね。お昼休憩ももう頂いたんだろう?」
「ええ」
「まったく……いつかはご一緒したいものだよ」
「ありがとう。その気持ちだけ頂くわ」

 オーバーブロット事件から幾分か穏やかになったリドルはやれやれと肩を竦め、小さく手を振った。食堂に向かうらしい。

「なあにしてんの?」

 と、そこに長身の少年が現れた。親しげにリドルの肩に長い腕を回した彼はナマエを随分と高い位置から見下ろし、ギザギザの尖った歯を覗かせた。リドルは嫌そうに眉をひそめてその腕を容赦なく振り払ったが、背の高い少年は気にした様子もない。

「……」
「……」

 数秒間、ナマエとフロイドは見つめ合った。
 面白いおもちゃ見っけ。
 フロイドがどのような男であるか知っているリドルは彼が浮かべている表情に頬を引き攣らせる。

「アズールが調べたがってたヤツじゃん」
「え?」
「ヘンな魔法使うのってオマエのことでしょ」
「フロイド! そんな口の利き方をして彼女に失礼だと思わないのかい」

 リドルが咎めるがフロイドは細い腰を曲げ、固まっているナマエの顔を覗き込んだ。彼女の瞳に映り込む自分自身を確認できるほど距離は近い。
 上半身を仰け反らせた彼女は失礼極まりないフロイドを厳しい眼差しで睨みつけ、杖を彼の鼻先に向ける。

「……それ以上近づかないでください」
「はあ? 意味わかんねーんだけど。うざ」
「意味がわからないのはこちらです」
「ちょっと話しかけただけじゃん」
「ちょっと……? ちょっとであなたは礼儀のなっていないことをおっしゃるの。わたしたちは初対面のはずですが?」
「なにコイツ。マジでうぜー」
「やめないか、フロイド。非があるのは明らかにキミだよ。ナマエも、仕事を邪魔してすまなかったね」
「あ? 金魚ちゃんは黙ってろよ。一回絞めないと気ィ済まねぇから」

 冷ややかな一触即発の雰囲気に周囲の生徒たちも固唾を呑んで見守り──、

「おい、面白そうだから見てこうぜ」
「フロイドのやつ、女に手を上げるつもりかよ」
「なんかあったらローズハートがどうにかするだろ」

 いや、見守ってはいなかった。さすがはナイトレイブンカレッジの生徒と言うべきか、誰一人として仲裁に入る気配がない。むしろ、バチバチと睨み合っている二人の様子を心底楽しんでいる。
 なんだろうか、この血の気の多さはナマエにも大変覚えがあった。鈍い痛みを訴えるナマエの頭に、ホグワーツにいた頃の記憶がよぎる。グリフィンドールとスリザリンの生徒同士の喧嘩が起こると、二寮の生徒たちは当事者二人を無闇に囃し立て、煽っていたのだ。スリザリン生がこてんぱんにされればグリフィンドール生が歓声をあげ、グリフィンドール生がこてんぱんにされればスリザリン生が歓声をあげる──それと少し、彼女が置かれている状況は似ていた。

「あなた、後悔するわ」
「しねーし。つーか、弱っちいオマエになんかできんの?」

 いよいよ、ナマエは杖を振り上げた。

タラントアレグラ(踊れ)

「そんな棒でオレとやり合うつもり?」ありえねぇ、とフロイドは面倒くさそうに呟いた。無謀にも挑んでくる少女を哀れに思いつつ、彼は校則を破ることに対してなんの罪悪感も持たずにマジカルペンを振るった。正確には、振るおうとした。

「は?」

 フロイドの身体は彼の意思とは関係なく動き出し、右足と左足はリズミカルにステップを刻み、上半身も軽やかに動いている。

「なにこれ!!」
「わたしが呪文を唱えない限り、あなたは踊り続けるわ」
「ええ〜なにそれぇ」

 全然止まんねぇし、と宣ったフロイドの表情は、ナマエの予想とは異なり非常に楽しげだった。怒り狂ったり、今すぐやめろと叫んだり、そういった反応を示すとばかり思っていただけに面食らう彼女にフロイドは弾けんばかりの笑みを見せている。

「すげー!! 身体が勝手に動く!! ね〜、これどうなってんの!?」
「え、ええ……? それは魔法で……」

 この時、リドルはフロイドの機嫌のいい顔色にいやな予感がしたと言う。
 ナマエ・ミョウジ、フロイド・リーチに興味を持たれてしまった哀れな瞬間であった。

「おい、大丈夫か!」
「うわ、先生呼んだがよくね?」
「階段から落ちたらしいぜ……」

 にわかに廊下が騒がしくなり、階段の下付近に人だかりができていたが、上機嫌になっていくばかりのフロイドをどうすればいいのか考えるナマエには生徒たちのその声もあまり聞こえていなかった。


<< >>

INDEX
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -