LEFT BEHIND 10


「寮長起きなくね? まさかこのまま……」
「縁起でもないことを言わないで」
「うっ……ナマエさん……」

 横たわっているリドルのそばにしゃがむエースの背後に立ったナマエは杖を振り、「リナベイト」と唱えた。すると、気を失っているリドルの瞼がわずかに震えてトレイが前のめりになる。

「リドル!!」
「……はっ!!」

 みんなが心配そうに見守る中、リドルの瞳が見開かれた。正気を取り戻している様子の彼を一瞥したナマエは彼らから離れ、遠くから様子を伺う。
 不満げな顔でなにやら文句を言っているエース、そんな彼に呆れるデュース、リドルのそばから離れずに優しい表情を浮かべているトレイ。
 リドルの苦しみはリドルにしかわからない。けれど、人目も憚らずに大泣きし始めた彼は少しずつ変わっていくだろう。
 酷い有様になってしまった薔薇の迷路の片付けや怪我人の治療など、しなければならないことは山ほどあるものの、暗い顔をしている者は一人もいない。
 彼らの会話ははっきりとは聞こえない。聞こえなくても、穏やかな空気だけが流れている。目を閉じたら、優しい子守歌が聞こえてきそうだった。ホグワーツにいた頃を、思い出して泣いてしまいそうだった。

「ナマエ」

 リドルを抱えているトレイは眉を下げ、ナマエの前で立ち止まった。彼女はなにを言われるか察していたが、あえて言葉を待つ。
 眼鏡越しに見える彼の瞳には穏やかな安堵と疲労が横たわっている。

「その、ナマエに頼むのは悪いんだが……お前も手伝ってやってくれないか?」

 あれ、と言って苦笑いを浮かべているトレイの指はボロボロになった迷路のほうに向いている。確かに、ナマエの魔法さえあればすぐに片付けられるだろう。

「雑用係だもの、そのくらい手伝うわ」
「悪いな」

 いいえ、と答えたナマエはトレイとリドル、そして付き添いのクロウリーに背を向けて歩き出した。薔薇の木々は折れ、芝生はぐちゃぐちゃになっている。ホグワーツにいたポルターガイストにだってこんな惨状は作り出せないに違いない。

「じゃ、ちゃっちゃっと終わらせよっか。エーデュースコンビと監督生ちゃんはあっちね」
「は〜、結局やんのオレらかよ……」
「まあまあ、ここはセンパイを助けると思って!」

 黒い石を食べて幸せそうにしているグリムにドン引きしていたエースたちはやれやれと肩を竦め、ケイトの指示通りに掃除を始めた。一年生トリオのうしろ姿にふぅ、と息をついたケイトはナマエに気がつくと安堵で緩んでいた表情を少しだけ引き締めた。そういった素の顔は誰にも見られたくないのだろう。

「なになに、ナマエちゃんも手伝ってくれるの?」
「雑用係ですから」
「あれ、ちょっと辛辣じゃな〜い?」
「そうですか?」
「あ、てかさ! ナマエちゃんタメなら敬語使わないでよ! マジカメ風に言うなら呼びタメ大歓迎って言うの? けーくん、トレイくんと仲良さげにしてるの妬けちゃうしー」

 タレ目がちな目を細めるケイトにナマエも笑い、杖を取り出した。今ならばたくさん笑える。たとえ夢でも、死んで終わったはずの世界が優しく見えた。

「優しいのね」
「んー、なにが?」
「トレイに負けないくらい周りのこと見てる。ロザリアの言う通りだわ」
「へっ」
「ふふ、あの子、あなたのこと褒めてたわ。打算的なところもあるけど優しいって」
「ちょ、ちょっと待って! ロザリアちゃんからなに聞いたの!?」
「秘密よ」

 楽しげに笑うナマエにケイトの口元がぴくぴくと震える。
 西校舎の廊下に飾られている肖像画のロザリア。西校舎の清掃のために廊下を通ったナマエは、一人ぼっちのロザリアと少しだけ会話をしたのだ。会話と言っても、ほとんどはロザリアの話を聞いていただけだが。

「ね〜!! 教えてよ!! ホントにそういうのいけないと思うよ!?」
「秘密。言わないわ」

 意地悪〜!! とケイトに言われても、ナマエは気にせず笑い続けたのだった。








 エースとデュースがリドルに挑む数時間前のことだ。

「あなた、普通じゃないのね」

 ロザリアのガラス玉のような瞳が動く。西校舎の廊下に飾られている肖像画の美しい少女は涼しげで勝気な赤い唇を動かした。

「……どうして?」
「どうしてかしら。私には、違う生き物に見える。おかしいわね。姿も形も人間なのに」
「……」
「生きてるの? 死んでるの? なんだか少し、ゴーストみたい。そう、形のあるゴースト」

 ケイトや他の生徒たちの話をしていた先ほどまでの明るい声ではない。ナマエは驚かなかった。人ならざるものにはわかるなにか──直感で得られるなにかがあるのかもしれない。

「どちらだと思う?」
「さあ。わからないわ。でも、そうね……あなた、寂しそう」
「寂しそう?」
「ええ、そうよ。なんだか少し、私みたい。あなた、生きてるの、死んでるの」
「……わたしは」

 ナマエはさも当然のように、静かに呟いた。誰もいない校舎に反響する声は冷めきっている。

「死んでるわ」

 誰もいないと思っていたから、ナマエはロザリアに包み隠さず告げた。けれどそれは彼女の思い込みで、西校舎にはもう一人の人間がいた。
 休日、早朝の廊下の曲がり角。獣人族らしく聴覚が非常に優れている少年は感情の起伏を感じられないその声にどうしてか息を潜めてしまった。


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