LEFT BEHIND 06


 ふむ、と呟いて腕を組んだデイヴィス・クルーウェルは、暗記すべき薬草と毒草がずらりと並ぶリストから目を離した。それらのものを一年生のうちに取り扱うかどうかは魔法教育省の定める要領に依存するため、それなりに気にしなければならない事項ではあるが──名門魔法士養成学校の二大巨頭、ナイトレイブンカレッジの教師陣は自分自身こそが法律である。そんな彼らにとって、世間一般の学習指導要領などあってないようなものだ。
 遅かれ早かれ覚えなければならないなら、さっさと覚えさせて実践的な知識を身につけさせたほうがいい。
 ということで、今年も一年生には百種類の薬草と毒草の名前と見分け方を完璧に覚えさせる。これは彼の中ではすでに決定事項であった。
 例年、授業についていけなくなりそうな生徒もいるにはいる。しかし、この学園に通う生徒の大半は“名門校に選ばれた自分にやれないことはないはずだ”という絶対的な自信を持っている。その傾向は頭脳派揃いのオクタヴィネル寮とスカラビア寮に特に見られるが、どこの寮生であってもたかだか覚えるだけの授業に置いてけぼりにされるなど自身のプライドが許さないだろう。
 クルーウェルは、青臭くて不器用なそれが彼らにどんな影響を及ぼすかわかっている。ナイトレイブンカレッジは自由な校風でありながらも、重んずるは結果。落ちこぼれになれば揶揄され、優秀になればトップに立てる。至って単純明快にして、わかりやすいほどのヒエラルキーは獣人族が多いサバナクロー寮寮生にとっても起爆剤となり得ていた。
 血気盛んな生徒も多い学園ではあるが、魔法や頭脳に関してはなかなかに優秀な生徒が多い。ただ、頭がいい悪い奴ほど面倒だ。それが彼の所感だが、三年のレオナ・キングスカラーや二年のフロイド・リーチがその筆頭である。
 もう少しこいつらにかわいげがあれば……と思う日々ではあるものの、世界最高峰の山々よりも高いであろうプライドを持つ生徒たちを手なずけたところで、かなり気色が悪いだけだ。駄犬は駄犬らしく噛みついて、酸いも甘いも味わっていけばいい。学生の醍醐味とはそういうものだ、というのが彼の持論である。

「クルーウェル先生、少し──あ」

 扉をノックして職員室に入ったナマエは、コーヒー片手にブレイクタイムを楽しむクルーウェルを見るや、申し訳なさそうに表情を曇らせた。気の利く賢い仔犬は嫌いではない。昨日の今日ですっかり彼女を気に入っていた彼はコーヒーカップをデスクに置き、皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「なんだ、俺に用か? 確か、今日はトレイン先生に頼まれていただろう」

 またあとでお伺いします、と言うのもクルーウェルの厚意を無駄にしてしまう気がして、休憩を邪魔してしまったことを申し訳なく思いつつも彼女は彼に近づいた。

「昨日はありがとうございました。おかげでミスター・クローバーに会えました」
「ああ、構わん。リードを引いてやるのも俺の仕事だ。……で? わざわざそれだけを言いに来たわけではないだろう?」
「え?」
「え?」

 彼らはしばらく見つめ合った。

「薬学室を借りたいんじゃないのか?」
「薬学室……ですか?」

 クルーウェルは瞬きを繰り返すナマエを見上げた。今日の錬金術の授業で「ナマエが魔法薬を作りたいと言っていたんですが……」と言ったトレイに「魔法薬の知識がない者には薬学室は使わせんぞ」とすげなく言い捨てたクルーウェルは、彼女にお願いされるとばかり思っていたのだ。魔法薬学室を使わせてください、と。
 だが、まるっきり違ったようだ。
 どうやら俺は盛大な勘違いをしていたらしい。ならば目の前の魔女は今度はなにを言い出すのか。できれば突飛で、考えもつかないことなら喜ばしい。
 そう考えながら、クルーウェルは背もたれに背中を預けた。物が少なく、整頓されたデスクの上でコーヒーの湯気が揺れている。彼お気に入りのダルメシアン印のコーヒー豆はパッケージが気に入って試しに買ってみたものの、味も香りもドンピシャだった。そうして何年も前から好んで飲んでいるメーカーのコーヒー、幼少期から誰にも譲らなかったファッションへのこだわり、かわいげのない生徒たちへの躾。平穏で変わらぬ毎日に落ちてきた非日常を、彼は楽しみたがっている。
 けれど、彼女は予測と期待の遥か上をすんなりと越えていく。

「あの、不要な鍋はありませんか?」
「鍋……?」

 それが、鍋。鍋って、あの鍋か。クルーウェルの頭に、フライパンやら片手鍋やらココットやらミルクパンやら中華鍋やら、多種多様な鍋が浮かんでは消えた。

「……料理でもしたいのか?」
「魔法薬を作りたいんです」
「まほうやく」
「できれば、(すず)製の鍋とか……」

 ──魔法薬学室はクルーウェル先生の許可がないと使えないんだ。
 トレイの言葉に少しだけショックを受けながら大量のお菓子が入った紙袋と一緒に寮に戻ったナマエはあることを思いついた。ホグワーツにいた頃のように、鍋を使って魔法薬を調合すれば酸素薬も作れるのではないか、と。
 鍋と材料さえあればどこででも作ることはできる。それこそオンボロ寮の中でだって学園長室の中でだって、作ろうと思えば作ることができるのだ。
 魔法薬学は膨大な知識と緻密な過程を要する学問であるため、フラスコやビーカー、スポイトなどの道具があったほうが作業は楽にはなるが、部外者であるナマエはそう簡単に薬学室を借りられない。借りられないなら、独力でどうにかするしかない。
 言わば、力技である。
 ツイステッドワンダーランドの魔法薬学がどのようなものかは詳しく知らないものの、彼女がいた世界にも酸素薬によく似た魔法薬は存在していた。材料を置き換え、試行錯誤を重ねれば製薬することも不可能ではないだろう。おそらく、多分。

「それが仔犬の世界の常識なのか」
「常識……と言っても、魔法族のやり方ですが」

 ナマエ・ミョウジは異世界からやってきた魔女である。彼がその事実を聞いたのはサムや他の職員たちと同様に今朝のことだったが、驚くよりも先に「なるほどな」と納得してしまった。
 道理で、定理法則のわからない魔法を使うわけだ。
 常識、価値観、魔法との関係。歩んだ歴史。すべてが異なる。異なるということは、クルーウェルが少しも知らない学問への探求があるということだ。

「許可しよう」
「なにをでしょうか?」
「魔法薬学室を使ってもいい。ただし、俺の目がある時だけだ。クルーウェル様直々に特別レッスンを受けさせてやる」

 えっ、と声を漏らしたナマエを満足げに見つめたクルーウェルは、ニヒルな笑みを浮かべる唇を隠すようにカップを傾けた。彼女はさながら未開の地──宇宙のような少女だ。謎だらけで、多くの可能性を秘めている。
 知りたい。どんな学問があってどんな魔法薬があったのか。デイヴィス・クルーウェルは魔法薬学室を貸し出す対価として、ナマエ・ミョウジの叡智を求めたのだ。

「特別だ」

 シィ、と。プリスクールに通う子どもを諭すやさしい先生みたいに。けれどどこか、悪戯っぽく笑う少年みたいに。
 クルーウェルは人差し指を自身の唇に当て、ナマエに向けて長方形の薄っぺらいものを差し出した。ツイステッドワンダーランドではスマホと呼ばれているそれを、彼女は目を白黒させながら凝視する。

「暇ができたら呼び出す。仔犬、携帯は持っているか」
「携帯?」
「ああ。スマホと言ったほうがよかったか?」
「すまほ?」
「スマートフォン」
「すまーと……? スマートな電話ですか?」

 半端ではない知識を持つナマエが要領を得ない返答をしたことに訝しく思ったクルーウェルは片眉を上げ、火を初めて見た人類のような反応──彼とて火を初めて見た人類なるものは見たことはないのだが──を示す彼女に「もしや」という思いがもだける。
 彼はゆったりと流れる秋の雲を職員室の窓から見上げ、静かに呟いた。

「もしかして、スマホを知らないのか」

 いやいや、そんなまさか。一回り以上年下の現代っ子が文明の利器を知らないわけがあるまい。アラサーだのなんだのと言ってくるクソガキ共と同年代とは思えないほどに彼女は落ち着いていて従順だが、まさかスマホを知らないわけが、

「はい。なにかの機械ですか?」

 しかしまあ、ナマエは相変わらず彼の予測と期待を易々と越えてゆく。
 クルーウェルは知る由もないけれど、彼女が生きていたのは1990年代のイギリスだ。彼女が生きた時代にはスマートフォンなんてなかったし、SNSなんてものもなかった。それに対して、ツイステッドワンダーランドは諸々の生活水準と科学技術が20年ほど進んでいる。
 いや、彼女の世界にはスマホ自体なかったのかもしれない。有形の連絡手段など不必要なほど魔法が発達していたのかもしれない。
 前者に関してはあながち間違いではない仮説を立て、自身のスマホをポケットに入れ直したクルーウェルは、腕を組んだ。

「だったら、監督生に言伝を頼もう。メモでも渡しておく」
「ありがとうございます」
「遅刻は厳禁だぞ。おりこうに言うことを聞けない駄犬は嫌いだからな」

 はい、と嬉しそうに笑ったナマエはもう一度だけ「ありがとうございました、先生」と告げ、いつかのように姿を消した。
 彼女にとって、自他共に認める手厳しさを誇るクルーウェルが薬学室を貸してくれることになったのは思いもよらない幸運ではあったものの、まだまだ前途は長い。材料となる薬草を揃えなければならないし、材料だけではなく調合の仕方を知る必要がある。ツイステッドワンダーランドの薬草がどのような環境で育つのか知らないからには、しっかりと調べたいし、彼女個人としても未知の薬草について知りたいと思っている。ならば、あの場所に行かないわけにはいかないだろう。
 この学園の長であるクロウリーにも植物園に入る許可はもらっているため、次なる行先は植物園と定めていた。
 姿くらましという魔法は、どこへ、どうしても、どういう意図で、の三つを明確に意識しなければ身体の一部がばらけてしまう。そういった失敗例がままある魔法ではあるが、完璧に習得すれば便利な魔法だ。
 しかし、姿を現した場所がうんざりするような修羅場だった、ということもあるわけで。

「なんだ、テメェ」
「……」
「はっ、草食動物が次から次へと──」

 もふもふの耳。ナマエはまず、男の頭から生えている獣のような耳に目が行った。それに、なにかに苛立っている翡翠色の瞳。
 なんだか、グリーンの瞳には昨日から縁がある気がするわ。
 屋根の上で出会った黒猫のような男のことを思い出した彼女が顔をしかめると、目の前の彼もまた苛立たしげに顔をしかめた。

「女? 女がなんでここに……あァ、お前が例の雑用係か」
「ミョウジさん……」

 更に顔を青くした監督生、そして名も知らぬ猫耳の男に挟まれているナマエは彼らを見比べ、杖を取り出した。

「ごめんなさい。邪魔だったかしら」
「怪我はしたかねぇだろ、お嬢ちゃん。さっさと消えんだな」
「怪我くらい、平気ですが」
「あ?」

 あまりにも平然と宣う彼女に、猫耳男──レオナ・キングスカラーは切れ長の目をこれでもかと見開いた。

「お、おい、ナマエ!! なに言ってるんだゾ!?」
「逃げましょうよ、ナマエさん!!」

 監督生とグリムの二人を守りたくて平気だと言ったわけでない。ただ、本当に、この女にとっては殴られようが叩かれようがどうでもいいのだ。
 その異常性。怯えもしない、そのくせ脆そうな女を前に、レオナも呆気に取られる。
 違う生き物を見ているような気分だった。レオナは一歩後ずさり、一切の匂いがしない不気味な少女を睨みつけた。匂いがしない人間なんて、この世に存在し得るのか。ゴーストのようになんの匂いもしない人間なんて。

「お前、」
「レオナさーん!」
「……あ?」

 いっそう声を低くしたレオナのもとに、ぶかぶかの上着を着ている細身の少年が駆け寄る。彼の明るい声によって重苦しい空気が霧散し、監督生やグリムの表情から恐れが薄れて消えていく。捨て台詞を吐き捨てたレオナと、ラギーと呼ばれた少年が植物園外に出ていくと、監督生とグリムはその場にへなへなと座り込んだ。
 カゴとトングを発見したエースとデュースがタイミングを見計らったかのように彼らに声をかけるが、腰を抜かしている二人にとってはそれどころではない。
 不意に、ナマエとデュースの目がばちりと合った。

「あ、今朝の」

 呟いてすぐに口を閉ざし、ナマエから視線を外したデュースを置いて、エースが人懐っこい笑顔で彼女に近づいた。

「ナマエさんじゃん。なんでいんの?」
「ナマエサン?」
「クラスの奴らも散々話してただろ。黒い服の女の子がいる!! って」
「えっ!? あれってこの人のことだったのか!?」
「ニッブ!! お前、マジで鈍すぎ!! 朝も挨拶しただろ!!」
「確かに挨拶は……あ、いや、してないな」

 エースにからかわれたデュースは眉を寄せたものの、杖を出しっぱなしにしているナマエを見やると小さく会釈した。

「中学生かよ」
「なっ……うるさい!」

 顔を真っ赤にさせて怒るデュースと、それをからかうエースに呆れ、ようやく立ち上がることができた監督生は人知れず溜息を落とした。

「こらこら。喧嘩しない。……早く栗拾いしないと」
「そうなんだゾ、タルトの食いブチが減っちまう」
「あ、ナマエさんも来ませんか? 栗拾い」
「なになに、ナマエさんにも手伝わせる気?」
「いや、そういうつもりはないから!!」

 仲良く会話をする一年生トリオに囲まれているナマエは、植物観察という、本来の目的を果たすためにも監督生の誘いを断ろうとしたが、彼女の声に被せるようにグリムの元気のいい声が重なった。

「ナマエも来たほうが栗がたくさん拾えるんだゾ!!」
「あの、グリム? わたし、用事が」

 あるのだけれど、と言われる前にナマエの手を掴んだグリムは彼女を逃がす気はないらしい。トレイが作ってくれるお菓子のことしか頭にない彼は、植物園の外へと駆け出した。




「で、まんまとグリムに捕まったわけか」
「そんなところ。グリムは食べ物への執着心が強すぎるわ」
「ナマエは薄すぎるんじゃないか?」
「そうかしら」

 トレイは眼鏡越しに試すような視線を投げかけたが、不安や恐ろしさを感じさせない温和な口調で話し続ける。彼には、ナマエと初めて出会ったあの時から、どうしても拭い去れない疑問があった。
 だが、肚のうちを少しも読ませないトレイの思考など会って間もないナマエに読み取れるはずもない。皮剥きの作業を続けているナマエは内心「こんなはずじゃなかった……」と思いながらも杖を振るう。
 誰とも仲良くしないと決めていたのに。いつ消えてもいいように、情は移さないようにしていたのに。
 数時間前に図書室で会ったトレイだけではなく監督生たちと共に作業をしている。なんだかもう、疲れているのか元気なのかもわからない彼女はボウルの中に転がっている栗を見下ろして肩を落とした。

「トレイ先輩とナマエさんが知り合いってな〜んか意外なんすけどぉ」
「はは、俺たちも昨日会ったばかりだけどな」

 ふぅん、と唇を尖らせたエースは器用に皮を剥いていく。トレイもナマエも、先日のティータイムで苺タルトを味わったことは盗み食いの罪で首輪をつけられているエースには言えなかった。


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