06.アザミ/報復


 予想通り、ドラコニア先輩とヴァンルージュ先輩はマジフト大会の代表選手だった。お二人には近づかないと約束した手前──いや、それどころか、僕としては最初から近づくつもりもなかったのだけれど──彼らのお姿をお見かけする機会は限りなく少なくなった。そして、銀髪のあの子の名前はその髪色の通りシルバーと言うらしい。彼も彼で、僕には一切話しかけてくれなくなったから、ヴァンルージュ先輩がなにかしら忠告したのだろう。それが正しい反応だ。そもそも、初っ端に最敬礼をするだなんてヘマをした僕が完全に悪い。転寮手続きは面倒くさい手順を踏まなければならないと言えども、実行されていないことが奇跡的なくらいだ。
 ナイトレイブンカレッジの授業についていけないなんてことはないけれど、悩みが多いせいでここのところ寝不足だった。だからだろう。危ない! と叫ぶ声に気づくのも遅れた。

「ふぐっ!!」

 後頭部に直撃した衝撃に思わず間抜けな声な声を上げると、そばにいた生徒が吹き出した。こちらとしては頭になにかが当たって笑うどころの話ではないのだけれど、彼は腹を抱えて笑っている。確か、隣のクラスの子だったはずだ。火曜の飛行術は彼のクラスと合同だから顔だけならば知っている。
 どうやら、僕に当たったのは誰かの箒の柄だったらしい。痛みはそれなりにあるものの、保健室に行くほどのものでもない。

「ナマエ! マジごめん!!」

 ぱたぱたと走り寄ってきた生徒はクラスメイトのジョンだった。不慮の事故で僕のほうに飛んでしまったのなら致し方がないので緩くかぶりを振って「気にしないで」と答えると、彼は胸を撫で下ろし、箒を持って走り去った。
 体力育成が終わり、箒に乗って空を飛ぶ実践的な授業が始まったことで怪我人が一気に増えた気がする。僕も当たった場所が悪かったら保健室送りだったかもしれない。気を引き締めよう、と箒を握り直したが、例の彼は未だに笑い続けている。水色に、濃い色が一房混じる綺麗な髪が小刻みに揺れているのだ。不意に顔を上げた彼と目が合い、その双眸に涙が滲んでいることに気がついた。

「フグちゃん、変な声出すねえ」
「フグちゃん……」
「フグッて叫んでたじゃーん」
「そんなに間抜けな声出てた?」
「あはぁ、出てたよお」

 この名前も知らぬ少年におかしなニックネームをつけられようがどうでもいいが、立ち上がった彼は存外に背が高く、脚なんて意味がわからないくらいに長い。いや、単純な長さで言えばドラコニア先輩も負けていないと思うものの、目の前の彼は先輩よりも線が細く、僅かに華奢だった。
 この場合、名前を聞いたほうがいいのだろうか。久々に寮の先輩方以外との交流関係について悩んでいたら、ラギーが遠くから手を振っていた。「うちのクラス、招集かかってるッスよ!」と、親切にも教えてくれている。

「……あ、じゃあ、そういうことで」

 軽く会釈をしたけれど、彼はもう僕から興味を失っていたらしく箒に乗って器用に遊んでいた。なんというか、読めない子だ。マイペースというか、気まぐれというか、海みたいに掴めない子だと思う。
 クラスメイトが集まっている場所に行くと、ラギーが隣に来た。柔らかそうな前髪は汗で少しだけ湿っている。

「ナマエくん、リーチ兄弟の片割れと仲良いんスか?」
「リーチ兄弟? あーそうだ、あの子のラストネームはリーチだったか……名前はなんだっけ、フロイド?」
「そーッスよ。なんか、兄弟揃って悪い噂あるみたいッス」

 ま、真実はわかんないッスけど。そう締めくくり、前を向いたラギーはバルガス先生の話を聞くふりをしているようだった。ラギーも、大概強かだ。
 先生はマジフト大会について話していたが、新入生の大多数は出場選手には選ばれない。魔法においても飛行術においてもまだまだ未熟だからだ。ただ、中には例外もいるわけで、一年生ながらにラギーはマジフト大会の選手に選ばれている。あとはハーツラビュルのリドル・ローズハートが代表選手に選ばれたとかなんとか聞いているが、彼は入学一週間にして寮長の座を手に入れた正真正銘の天才であるため大きな驚きはない。
 バルガス先生の言葉を右から左へと聞き流していたらやがて話も終わり、解散を言い渡された。お利口にしていたら楽な授業というものは実にいい。各々更衣室に向かうクラスメイトたちの流れに従って歩いていると、箒を肩に乗せて柄に手を置いているラギーがしたり顔でのたまった。

「そういや、ナマエくん。寮長副寮長と上手くいってないらしいッスね」
「……情報通って本当に怖いね」
「じゃあ噂は本当なんスね」
「まーね。閉鎖的なディアソムニアの噂を嗅ぎつけるなんて凄いよ、ラギー」
「シシシッ、世の中には裏垢ってのがあるんスよ」

 裏垢がなにを示すのかはスマホを持っていない僕でも知っているが、ディアソムニア生がマジカメのアカウントで裏垢を持っているとは思わなかった。無口な彼らも、意外とストレスは感じているのかもしれない。……なんだか、見てはならない闇の深淵を覗き込んだ気分になってしまった。
 彼らの裏垢についてはこの際どうでもいいが、噂についてはなんらかの対策を打たなければならない。ドラコニア先輩やヴァンルージュ先輩との不仲説が校内に流布してしまうと過ごしづらくなるのは僕だ。不幸なことに、噂というものは消えるのも早いが流れるのも非常に早い。水面下で噂が出ている今のうちに手を打っておきたいけれど、入ったばかりの一年生に果たしてなにができるだろう。
 マジフト大会が一週間後に控えている現在、浮き足立っている学園内では僕の噂なんて流れないとは思うものの、大会が終わったあとでどうなるのかは僕自身にもわからない。
 憂鬱な気分のまま運動着から制服へと着替え、その流れのままラギーと食堂の席につくとさっきの変わった子──フロイドが隣に座った。彼のクラスも授業は終わっていたらしい。僕の真向かいに座っているラギーは硬い表情を浮かべて様子を伺っている。

「フグちゃんさあ、なんか楽しいことしてよ」
「楽しいことって?」
「はぁ? そんくらい考えてよ」

 無茶振りがすぎる。そんくらいと言うのなら自分で考えてほしい。

「無理だよ、いきなりなにかするなんて」
「はあー? マジでつまんねーんだけど」

 マジでつまらんとはなんだ。相変わらず心配げにこちらを見ているラギーには大丈夫だという意味を込めてハンドサインを送ったが、フロイドは舌打ちをしそうな勢いで苛立たしげにしている。

「食う気失せた、いらね」
「は?」
「いらねーから片付けといて」
「君が取ってきたんでしょ。ちゃんと食べなよ」
「うぜーんだけど」
「うざいのは君だよ。そもそも、僕ら友達じゃないよね」

 ラギーが「ナマエくん落ち着いて」と言っているものの、落ち着いていないのは僕じゃなくてフロイドのほうだ。僕を睨みつけるオッドアイを負けじと睨み返すと、フロイドはテーブルに思いきり手をついた。僕のシチューは跳ね、パンは皿から飛んでいた。フロイドの唐揚げもテーブルに転がっている。ラギーは危険を察知してワンプレートに乗っている料理たちを死守していたが、僕なんてシャツやスラックスにシチューが飛んでいた。けれど、フロイドは悪びれる様子もない。

「……。……」
「短気は損気ッス、どうどう……ナマエくん、怒りたいのはわかるけど──」
「ねえ。これ、僕の一張羅なんだけど」

 あちゃー、とラギーが呟いた。
 荒波を立てたくないというラギーの気持ちはわかるけれど、フロイドは食べ物を無駄にした挙句に僕の大事な制服を汚したのだ。許せるはずがない。前世に比べたら随分と血の気が多くなったと思いながらも拳を振り上げると、フロイドの身体が長椅子から離れた。ヒュウ、とどこからか口笛が聞こえてくるあたり、この学園には本当に優等生という優等生がいない。

「いってぇ……。なに、絞められてーの?」

 ゆっくりと立ち上がったフロイドの攻撃に備えて僕も立ち上がれば、一層囃し立てる声が食堂中に響き渡る。僕らの喧嘩は見世物ではないし見せたいとも思わないが、ここで逃げたってフロイドが追いかけてくるであろうことは簡単に想像できた。

「ちっちぇー雑魚のくせに調子乗んなよ、マジうぜーから」
「僕は食べ物を無駄にする奴が一番嫌いだし、なんなら他人を馬鹿にする奴も大嫌いだ!!」
「はあ? うっざぁ……」

 こうして始まった僕とフロイドの喧嘩はクルーウェル先生と学園長が来るまで続き、僕と彼の顔面は血だらけ、擦り傷だらけになっていた。勿論、午後の授業が始まるまでお説教が続き、すっかりおかんむりの学園長はこう言った。

「君たち!! 流血沙汰とはなんですか!!」
「僕は悪くないです」
「オレも悪くねーし」
「は!! これだからうちの生徒は……!! 反! 省! の! 色がまっっったく見えないとはどういうことですか!! 君たちは反省文を三枚書くように!!」

 反省文三枚。しっかり書いて、寮長に提出しなさい。
 と、いうのが数時間前の話で、今は空き教室でトレイン先生の監督のもとフロイドと並んで反省文を書いている。書き終わったら寮に戻ってもいいらしい。
 正直、学園長に怒られるよりもドラコニア先輩に反省文を提出しなければならないということのほうが数千倍は恐ろしかった。

「……終わんね」

 三枚目の終盤まで書き終えている僕の隣で、頬に湿布を貼り付けているフロイドが面倒くさそうに呟いた。彼の手は二枚目の最初あたりで止まっている。こういうものを書くのは得意ではないのだろう。

「……」

 今回の喧嘩については僕は少しも悪くないが、大人げなかったと思わないでもない。

「ナイトレイブンカレッジ、オクタヴィネル寮」
「は?」
「それ、たくさん使ってみて。綴りが長いからわりとすぐに埋まるよ。それじゃ」

 トレイン先生には聞こえないように囁き、フロイドの顔は見ないままに用紙三枚を片手に鞄を持って席を立つ。教卓のうしろに座っている先生に提出すると、彼は老成した目で一通り確認し、それから僕を見上げた。

「今度からは気をつけなさい。次は謹慎処分になる」
「はい」

 とてつもなくいらないけれど手元に戻ってきてもらわなければ困る反省文を受け取り、夕日色に染まる放課後の教室から出た。重たい扉を閉ざす間際、フロイドの黄金の瞳が僕を見ていた……気がする。


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