05.サザンカ/あなたはわたしの愛を退ける


 入部する部活はどこでもよかったが、できるだけディアソムニア生に関わらないような部活がよかった。ドラコニア先輩やヴァンルージュ先輩は勿論、他の寮生ともあまり関わりたくない。その理由はあまりにも単純で、寮生の前でボロを出してしまった時に、寮長と副寮長であるお二人に報告が行ってしまったら言い逃れできる自信がなかったからだ。
 部員にディアソムニア生が少なく、ラギーもいるなら。という、そんな理由で入ったマジフト部はサバナクロー生が多い。逆を言えば、美しさを追求するポムフィオーレ生やインドア派なイグニハイド生、サバナクローと折り合いが悪いらしいディアソムニア生は少ない。だが、マジフト部はナイトレイブンカレッジの花形部活動ということもあって、ハーツラビュルやスカラビアの生徒はそれなりに入っている。
 マジフト部の練習にあまり顔を出さない部長──レオナ・キングスカラー先輩は運動着姿のわたしを見るなり思いきり顔をしかめていたから、ディアソムニアとサバナクローの折り合いは悪いという話はあながち間違いでもないのだろう。久々に部活に出てみたらいけ好かない寮の寮生がいた。そうなれば、あんな表情をしたくなるのもわからないでもない。

「ナマエくん、さっさと片付けちゃいましょ」

 練習で使った箒やディスクを器用に抱えているラギーは顎をくいっと動かし、用具倉庫のほうへと歩き出した。ぺーぺーの新入生に与えられる仕事は、こういった雑用ばかりである。

「ナマエくんがマジフト部入るの意外ッスね。運動できなさそうなのにそれなりに動けるし」
「そりゃラギーの運動神経には敵わないよ。あと、運動できなさそうは余計」
「そりゃすんません」
「少しも悪びれてないだろ」

 あ、バレた? と笑うラギーは汗で額に張り付いた前髪をどかし、頭ににょきっと生えている両耳をぴくぴくと震わせた。思わず撫で回したくなるような耳だ。動物好きで、野良猫を捕まえては頻繁に餌付けをしていた斡旋所のおじさんやドクターがラギーと会ったら大興奮するだろう。
「そういえば」と、箒を肩に乗せ直した彼はわたしを見下ろした。

「昨日、ディアソムニアのヤツに絡まれてたでしょ」
「ああ……見てたんだ。あれは決闘の申し込みというかなんというか……悪い子ではなかったよ。人の話聞いてくれなかったけど」
「決闘? そりゃまた変わったヤツで……なんつーか、取っ付き難いんスよね、ディアソムニアは」
「それはわかる。未だにあの子以外とは話せてないし」
「コミュ障じゃん」
「うるさい。割のいいバイト見つけても教えてあげないよ」
「うわっ、マジそれは勘弁!」

 細かな砂埃が巻き上がるグラウンドを横切り、用具倉庫に入ると立て付けの悪い扉からは金属同士が擦れる嫌な音が響いた。薄暗い倉庫内はコーンやマーカー、メジャー、ハードルなどの陸上競技に用いる道具が所狭しと詰め込まれている。開けっ放しの扉から射し込む夕日は、室内を舞う小さな埃をダイヤモンドダストのようにきらきらと輝かせた。
 さっさと箒を片付けていくラギーは鼻を摘み、不快そうに唇を歪めている。黴臭く埃臭いこの空間は、嗅覚が過敏な彼には苦痛でしかないのかもしれない。人間であるわたしでも、この臭いを嗅ぎ続けたいとは思わない。

「次から僕が倉庫に入るよ」
「……そうしてもらえるとありがたいッス」

 くしゅん! とくしゃみをしたラギーはよほど耐えられなかったのか、そそくさと倉庫から出ていった。わたしも続いて外に出ると、広々としたグラウンドの整備をする他の新入生たちの姿が目に入る。上級生にしごかれてすでにへとへとになっている彼らには、単純な作業でもつらいだろう。
 それにしても、ナイトレイブンカレッジは本当に広い。学園内に森があるなんて信じられないし、無駄に広いこの学園は、設備にしても教育にしても相当の予算を使っている。ツイステッドワンダーランド屈指の名門校なのだから当たり前だが、そこらの学校とはわけが違うのだ。

「は〜、疲れた」

 首のうしろに手を回し、ゆっくりと歩いているラギーは同級生たちを手伝う気はさらさらないらしい。自分の仕事は終わったからあとはもう知らない。そう顔に書いてあるが、これ以上の雑用を任されるのは嫌だったわたしも、彼と同じスピードで歩いた。

「ラギーはマジフト大会出るの?」
「まさか。一年で出られるような大会じゃないッスよ」
「ラギーならいけそうだけど」
「買いかぶりすぎッスよ」

 ラギーはたまに卑屈になる時があるけれど、今日の活動で彼が見せつけた身体能力は上級生にも引けを取らなかったし、むしろ彼らよりも頭を使って動けていたように思う。相手が仕掛けた罠を掻い潜り、賢く相手を嵌める戦法は初心者にはなかなかできないはずだ。
 サバナクローの選手選定事情については首を突っ込むつもりはないが、ディアソムニアはドラコニア先輩とヴァンルージュ先輩が出場されるだろう。あのお二人と、あとは信頼が置ける二、三年生で固められると思う。銀髪のあの子も、優秀そうだからもしかしたら選手に選ばれるかもしれない。

「一年共は掃除が終わったら帰れ。今日の活動は終わりだ。それと、ラギー・ブッチ。お前はこっちに来い」

 取り留めもなく考えていると、ラギーがキングスカラー先輩に呼び出された。おそらく、今日のラギーの動きが彼の目にとまったんだろう。
 ラギーがいなくなれば必然的にわたしは一人になる。彼を待つ約束も必要性もないので荷物を持って鏡舎に向かい、ディアソムニアの鏡を抜けて澱んだ空に包まれる寮を目指す。静かな生徒が多いこの寮は、建物内も驚くほどに静かだ。
 さっさとシャワーを浴びて軽く夕食を食べてから寝よう。予習と復習は明日の朝に回してしまっても大丈夫なはずだ。疲労が溜まった身体で無理をしても意味がない。
 しかし、帰寮後すぐに更衣室に入ったことを後悔した。

「おや……ナマエか」
「……こんにちは」

 ヴァンルージュ先輩とばったり出くわしてしまった。シャツのボタンをとめている彼はにこやかな笑顔を浮かべているが、わたしにとっては大層気まずい。わたしが勝手にそうなっているだけにしても、それでも彼とは会いたくなかった。
 そもそも。今脱いだら、背中の痣を見られてしまう。彼が“前世のナマエ”を覚えているという確証はないけれど、僕としてのナマエとわたしとしてのナマエを結びつけられるわけにはいかない。
 幸い、彼はなにも知らないし気づいていない。なにかしらの理由をつけてここから逃げなければ、と、考えていたらロッカーが閉まる音が響いた。ヴァンルージュ先輩が閉めたのだ。マゼンタの瞳の細長い瞳孔がきゅっと狭まる。

「お主とは一度、ゆっくり話したいと思っておった」
「……僕とですか?」
「ああ。お主、茨の谷の最敬礼を知っておるそうじゃな」

 決して、好意的な目ではなかった。
 それもそうだ。彼は、王子の教育係であり護衛でもある。新入生と言えども、祖国の最敬礼を知っている人間の少年など怪しくてしょうがないだろう。
 会いたくないと思うくせに、猜疑を向けられた途端に悲しくなってしまう己の矛盾が馬鹿馬鹿しい。なにを期待していたのだろうか、わたしは。

「詳しい人がいたんです。世界中の王室について研究しているだとかで」

 唇から漏れたのは乾いた自嘲だった。疑心に満ちた両目は変わらずわたしを見ている。
 やっぱり、この学園に来てしまったのは間違いだった。彼が在学していると知っていれば、入学するだなんて馬鹿げた真似は絶対にしていない。
 瞳に宿るゼラニウムの赤、背中に残る小さな痣、魂の器を超えて引き継がれたユニーク魔法。それらが残っていたところで、もう一度愛してもらえるとは思っていなかったけれど、かつて愛したひとに冷たい視線を向けられるのは想像以上に苦しかった。

「お主がなにを考えているかは知らぬが……今度怪しい動きをしたら容赦はせぬぞ」

 刺々しいその殺気が懐かしかった。彼に睨みつけられれば誰もが黙り、誰もが震える。戦場に降り立つ魔神と恐れられたリリア・ヴァンルージュの瞳は、どこまでも冷たかった。
 恐ろしいとは思わない。
 ただ、悲しかった。

「ドラコニア先輩にも、ヴァンルージュ先輩にも近づきませんから……安心してください」
「ふふ、賢明な判断ができる人の子は嫌いではないぞ」

 彼は最後に笑みを浮かべ、更衣室から出ていかれた。こんな風に突き放されるのも、仕方のないことだ。彼は、僕としてのナマエしか知らないのだから。
 泥水を啜って、腐りかけのものを食べて、そうして生きていくしかなかった今世も、こうしてリリア様と再び出会ってしまったのも、彼を置いていった前世のわたしへの罰なのかもしれない。

「……もういやだ……」

 しゃがみ込んで呟いたら、情けない声が冷たいタイルに落ちた。
 退学でもして逃げられるなら逃げたいが、おじさんやドクターが資金を絞り出して制服や運動着を用意してくれていたことは知っている。二人の気持ちを踏みにじりたくない。ちゃんとここを卒業して、おいしいものを食べさせてあげたい。
 運動着を脱ぎ、シャワールームに入ると小さな鏡に前髪の長い少年の顔が写った。シャワーヘッドから出る熱湯はやがて鏡を曇らせ、わたしの髪を濡らしていく。前髪を掴めば燃えるように赤いゼラニウムの両目がよく見えて、初めてそれを忌々しいと思えた。

「僕は……ナマエだ」

 呟いた声はシャワーの音に消される。
 ナイトレイブンカレッジで、男として生きていく覚悟はできた。どんなに苦しくて悲しくても、僕はこの学園で生き抜いていくしかないのだ。


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