三千世界の鴉を殺し君と朝寝がしてみたい 03


 毒矢の暗殺者はまだ捕まっていない。そのため、わたしには外出禁止令が出されている。未だに寝込んでいるブルースは何者かの催眠魔法によって操られていた可能性が高いらしく、彼が目覚めしだい事情聴取を執り行う予定らしい。
 護衛の付け方を改めよう、魔法陣で守りを固めておこう、夜間の森への出入りは禁じよう──この数日間で多くのことが新たに決められ、リリア様もお忙しそうにしていらっしゃった。お忙しいリリア様の目がなくとも鍛錬に勤しんでいるシルバーは、今日もわたしの部屋を訪れ、寝たり起きたりを繰り返している。

「怪我はもういいのか」
「こんなの、転んだだけだもの」

 何度目かもわからない覚醒のあとに、シルバーは眠たげな目を擦りながら問うた。件の過保護なお医者様のおかげで傷跡ひとつなく綺麗に治っているため、心配は無用だ。

「どうしてわたしが森にいるとわかったの?」
「ああ、それは……」

 シルバーとは事件のこともあってしばらくギクシャクしていたものの、時間が経てば元の関係に戻った。泣き顔を見せてしまったことが気まずいわたしと、怒鳴ったことを気にしているらしい彼は、お互いに例の件については触れたくないと思っているのだ。

「鳥が教えてくれた。やけに窓を叩く奴がいたんだ」

 試しに窓を開けてみると、その鳥はシルバーの髪を引っ張ってわたしの部屋まで連れていったらしい。何度ノックしても返事がないので、やむを得なく扉を開ければベッドはもぬけの殻。異常を察したシルバーがリリア様のもとに行ったことでお兄様にも報告が行き、あとはもうわたしが知っている通りに事が進んだ。
 状況が不明瞭だっただけに、シルバーや他の方々に迷惑をかけてしまった自覚はある。ブルースの言葉をもっと怪しんでいれば、城から出る前にお兄様に確認しておけば、ブルースもわたしも危険にさらされずに済んだ。花を探しに行く、という選択をしたことは後悔していないものの、冷静な判断ができていなかったことは間違いない。
 反省して、学ばなければ。またこんな事件があったら、今度こそ命を落としてもおかしくないだろう。

「ナマエ」
「んー」

 どうせまた眠いと言うのだろう。本に視線を落としたまま生返事を返すと、シルバーはわたしの手を掴んだ。掴むというより握る、という表現のほうがふさわしいかもしれない。これにはさすがに驚かざるを得なかった。思わず顔を上げたわたしを見つめているシルバーは、彼らしくない、緊張しているような面持ちをしていた。

「……俺が強い騎士になったら結婚してほしい」

 本が床に落ちた。

「俺はまだ未熟だ。だが、いずれは……」
「ちょ、ちょっと待って。いきなり過ぎるよ」

 当惑しているわたしを他所に、シルバーは首を傾げた。天然が過ぎるのも程々にしてほしいけれど、今はそんなことを言っている場合じゃない。

「結婚? あなた、結婚って言った?」
「ああ」
「なんで……?」
「結婚とは好きな相手とするものなんだろう?」
「……わたしのこと好きなの?」
「好きじゃなかったら『結婚してほしい』なんて言わない」

 それはそうだ。シルバーの曇りのない表情に、言葉を失う。シルバーはおふざけでプロポーズするような子ではないし、忠誠を誓った主君──マレウス・ドラコニアの妹という、一生を添い遂げるにはかなり面倒であろう相手に軽々しく想いを伝えるほど愚かではない。
 心臓はどんどんうるさくなっていくばかりなのに、薄紫と水色が混じる瞳から目を逸らせなかった。恥ずかしい、とは違う。嫌悪や驚愕とも違う。頭がこんがらがって、奥歯を噛んでいないと泣きそうになる、そんな衝動。
 どこかがきゅっと狭くなって切なくなるような痛み。それと一緒に感じたこともないような喜びが胸に広がり、内側からじわりと広がるような多幸感に指先が震えた。お兄様やリリア様に向ける感情と似ているようで、ちょっと違う気がする。

「……あの」
「なんだ」
「シルバーが……いいなら」

 声が震えていた。今すぐ逃げ出したいけれど、離れがたくて足も動かない。わたしの気持ちがシルバーと同じ“好き”なのかはわからなくても、プロポーズを断れないくらいにわたしの心はふわふわと浮ついていた。俯きたくなる気持ちを押さえつけてシルバーの両目を見据えると、予想外にも先に視線を彷徨わせたのは彼だった。

「……見るな」

 真っ赤な顔を腕で隠し、力なく呟いた彼にわたしまで顔が熱くなる。身体の内側から爆発して、燃え上がりそうだった。前触れもなく広がった静寂がちくちくと肌を刺す。
 気まずい。思いっきり喧嘩した日の翌朝にばったり出くわした時の比じゃないくらい、気まずかった。やがて耐えきれなくなり、スカートを握りしめる手を無意味に見つめる。
 シルバーがどんな表情をしているか気になって、おそるおそる顔を上げると、バチッ! と火花が飛びそうな勢いで視線が絡み合い、更に耐えがたい雰囲気になった。胸が痛い、心臓の音がうるさい。シルバーに聞こえていたらどうしよう。変な心配ばかりしてしまう。

「ナマエ……」

 上ずる声を出した彼は目を右往左往させてから、ようやく口を開いた。

「お、俺は鍛錬に行く」
「う、うん、頑張って」

 勢いよく部屋から飛び出したシルバーは、凄まじいスピードで廊下を駆けていく。扉が閉まるまで小さなその背中を見送ったわたしは、そっと息をついて、おぼつかない足取りでベッドに倒れ込んだ。もう、どんな顔をして会えばいいのかわからない。ちゃんと話せる気がしない。
 後日、わたしの心配は見事に的中し、「シルバーと喧嘩したのか」とお兄様が心配なさるくらい、わたしたちは口を聞けなかったし顔も合わせられなかった。




 シルバーと約束をして二年が経つ頃には、距離は以前よりも近くなっていた。好き、という感情を持て余していたあの時よりも、胸の中にある想いははっきりとした輪郭を伴っている。これといって言葉にはしないけれど、特別に思っていることはお互いによくわかっていた。
 わたしの手首を掴んでいる彼は動物に囲まれてすやすやと眠っている。

「なんじゃ、また寝ておるのか」
「疲れたみたいです」
「よいよい。寝る子は育つ」

 リリア様に顔を覗き込まれても起きない。

「人の子は不思議なものだな。こうも寝て飽きないのか」
「シルバーが少し変わってるんだと思います……」
「ふ、そうかもな」

 お兄様がいらっしゃっても起きなかった。
 みなに恐れ戦かれるお兄様を前にしても起きないなんて、シルバーは大物なのかもしれない。疲れているシルバーを起こしてしまうのは心苦しいけれど、空はとうにオレンジ色に染まり始めている。そろそろ起こさなければ夕食に間に合わない。

「シルバー」
「……」
「シルバー、起きて」
「……ナマエ」
「起きた?」

 ぼんやりとした目でわたしを見上げてくるシルバーに「もう戻らないと」と告げると、彼はわたしの手首を離して、今度は指を絡めた。

「つよくなりたい……」
「……寝ぼけてる?」
「そばにいてほしい……」

 うわ言のように呟いて、シルバーはまた眠りに落ちた。そろそろ起こさないとご飯を食いっぱぐれるというのに、彼の寝言が頭から離れない。妖精と人間は寿命が違う。特に、ドラゴンの妖精の血が入っているわたしは人間より遥かに長く生き、朝露のように儚く消えていくあまたの命を見るのだろう。
 シルバーは先に年老いて、いつかは分かたれる時がくるのだ。

「そばにいるよ、ずっと」

 星に願いを。願って、それが叶うなら。
 自然とあふれた涙がぽろぽろと落ちた。

「大好きだから、一緒にいるよ」

 あなたのいない永遠ならばいらないのに。


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