アナザー・プラネット 03


 トレイ先輩はお菓子作りが得意だ。ご実家がケーキ屋さんらしく、ハーツラビュル寮の「なんでもない日」のパーティーでは必ずケーキを作っている。

「何か作りたいだなんて珍しいな」
「ここに来てから少しも女の子らしいことができていないと言いますか……」
「そうか? 十分女の子らしいと思うけどな」
「誰彼構わずそういうこと言ってると、いつか刺されますよ」

 楽しそうに笑ったトレイ先輩の手には卵が四つ。
 魔法を使えない私は泡立て器で材料を混ぜ、チョコチップと輪切りのバナナを加えた。器用に卵を割るトレイ先輩は魔法がなくても美味しいケーキを作れそうだと考えながら、やわらかいバナナを粗く潰していく。

「トレイくんと監督生ちゃんじゃん。めっずらし、お菓子作ってんの?」
「甘いもの苦手なくせにケイトはよく来るよな」
「うっわ、ひど! 来ちゃダメなの? 女の子とお菓子作りなんてマジカメ映え絶対するじゃん」
「いや、映えとか気にしてないんだけどな……おい、こら」

 呆れるトレイ先輩の目も気にせず、ケイト先輩はパシャパシャと連写した。奇妙な撮影会を眺めているうちにバナナを潰しすぎてしまい、黄色っぽいどろどろした液体にチョコチップが浮かんだ。

「誰かにあげんの?」
「いや、そういうわけでは……」
「あっやし。エーデュースコンビとか?」
「違いますよ!」
「ヤケになるともっと怪しまれるぞ、監督生」
「トレイ先輩まで……私は作りたかったから作ってるだけです」
「デュースはお前からだったら何だって喜ぶと思うぞ」
「え」
「あー、やっぱし。デュースちゃんかなって思ってたんだよね」
「いや、あの? 先輩方、ちょっと待ってください」
「だって好きなんだろ?」

 何を今さら、と言い出しそうなトレイ先輩とうんうん頷くケイト先輩に目眩がする。

「エースちゃんとも仲良いけど、デュースちゃんといる時はなんか違うもん」
「デュースも寮のパーティーには監督生をよく連れてくるからな。満更でもないんだろ」
「変な勘繰りはしないでくださいよ……!!」

 二人がとんでもない思い込みをしていることはよくわかった。デュースは気にかけてくれているだけなのに、色恋沙汰を持ち込まれたら彼を困らせてしまう。ひとりぼっちな私のために言葉を尽くしてくれる、優しい友達。それ以上に特別な感情を抱えてはいけない。
 生地をパウンドケーキの型に流し込み、先輩方の顔を見ないままに問う。

「トレイ先輩、オーブンはどうやって使うんですか?」
「ん、ああ、まず余熱しなくちゃな」

 私がいた世界のオーブンとそう変わらない仕組みらしい。ピッピッ、と軽やかな電子音が厨房に響く。焼きあがったら丸々一本グリムに食べられてしまいそうだから、ここで切って寮に戻ったほうがいいかもしれない。食いしん坊なグリムはあんなに小さな身体で私より食べてすぐにお腹がすいたと暴れるため、燃費は最悪だ。



 ナイトレイブンカレッジでの毎日は楽しい。でもやっぱり、たまに心が弱る。
 そんな時には決まってデュースが私のそばにいた。間が悪いのかタイミングがいいのか、私が泣きたい時に限って勝手に心の中に入ってくる。

「デュースのことが好きだとばかり思っていたけれど……違ったのかい?」

 リドル先輩には苦笑いしながら首を振った。

「あれ、デュースくんと付き合ってるんじゃなかったんスか?」

 とからかうラギー先輩には「違いますよ」と小さな声で答えた。
 先輩も、同級生も、デュースと私の関係を勘繰っている。二年生になるとそれはもっと顕著になり、いくら鈍感なデュースでも私たちを取り巻く周囲の雰囲気の奇妙さに勘づいていた。それでも何も言わずに、「困ったな」と言いたげに小さく笑うのがデュースで、私はそんな態度に心の底から安堵した。

「お互いに好きなら付き合えばいいんじゃね」
「私たちはそういうのじゃないよ」
「アホらし。誰が見たって両想いだろ」

 エースが魔法解析学のテキストのページをめくる音だけがやけに大きく響き、数秒後には背表紙の固い部分が机にあたる音がした。彼は興味なさげにテキストを閉じ、机上に出したままになっていたマジカルペンも胸ポケットに入れ直した。

「嘘つくのはいい加減にやめろよ」

 結局、エースがどちらを非難したかったのかはわからずじまいだった。
 校舎からオンボロ寮までの道のりは実際に歩いてみるとそこそこ遠い。北風が吹き、風に煽られた髪の中から現れた耳がキンと冷える。枯れた葉っぱが一面を覆い、植物園の横の湖も凍りつく冬はもう目の前まで来ているのだろう。
 この世界にも雪はあるのだろうか、クリスマスという文化はあるのだろうか。

「ナマエ」

 何かを思うでもなくネズミ色の空を眺めていたら、とっくの昔に耳に馴染んだ声が聞こえた。振り向かなくてもわかる、デュースの声だ。
 いっそう強く吹き付けた風は地面に落ちている枯葉を巻き上げ、空高くまで飛ばしてしまった。冬は、意味もなく寂しくなる。芽吹く緑もなく大地を照らす光も少なく、命の気配が薄れたような儚さと切なさがこの季節にはある。
 毛糸のマフラーをぐるぐると巻き、鼻先を真っ赤にしているデュースは学校指定のジャージ姿で私のそばに来た。

「部活、終わったの?」
「ああ。今から寮に帰るところだった」
「お疲れ様」
「ありがとう」

 底冷えするような地面の冷気がズボンの裾から忍び込む。

「風邪引くぞ」
「大丈夫。すぐ戻るから」

 少しも信用していなさそうに眉を寄せたデュースはマフラーを取り、私の肩にかけた。デュースの匂いにまじって、柔軟剤のやわらかい匂いがする。

「これを巻くといい、あったかくなる」
「いいよ、へーき」
「お前の平気はちっとも平気じゃない」

 僕はもう学んだぞ、と言ったデュースはあたたかいマフラーを私の首に巻いた。首筋に一瞬だけ触れた彼の指は氷のように冷たく、かさついている。至近距離で見た碧色の虹彩は光の加減によってほんのりと黄色を孕み、水分の膜が張った瞳は宇宙の彼方に在る惑星のようだった。
 離れる間際、デュースの血色の悪い唇から漏れた白い吐息と私の吐息が空中で交わり、ほどくように融けていく。

「雪が降り始めたな。もう戻ったほうがいい」

 デュースの言う通り、天からは雪が降ってきた。綿毛のようにふわふわと舞い、手のひらに乗ると熱でとけてしまう。降りしきる雪を見上げるデュースの首元はとても寒そうで、マフラーに思わず手を伸ばした。

「借りれないよ。デュースも寒いでしょ?」
「僕はそんなにヤワじゃない。部活で走ってきたから身体は温まってる」
「鼻も指も真っ赤なくせに?」
「こういうのは素直に受け取るもんじゃないか?」
「……そんなに優しくしなくていいよ」

 雪は降りやまないのにデュースが寒い思いをしてはいけない。マフラーを取ろうとすると、デュースの冷たい手が私の手を掴んだ。血すら通っていないのではないかと錯覚しそうになるほど、どちらの指先もかじかんでいる。

「帰ろう、ナマエ」

 デュースは私の手を離し、オンボロ寮のほうへと歩き始めた。

「雪が積もったら雪合戦がしたい」
「エースとジャックを誘ったら? なんだかんだでしてくれそう」
「あいつらとやり合うなら負けられないな……ナマエもするだろ?」
「寒いのは苦手だからなぁ」
「だったら僕の手袋とマフラーを使えばいい」
「デュースが寒いよ」
「動いてたら嫌でも暑くなるからな。大抵の寒さは気合いでどうにかなる」
「の、脳筋だ……」

 デュースの歩くスピードはいつもよりずっと遅く、ゆるやかだ。小さな子どもの先を歩く親鳥みたいに、ちらちらと何度も私のほうを確認している。
 あたたかいマフラーからは彼の匂いがして、寂しさに埋もれていたはずの胸の奥がぎゅっと縮こまった。気づかないふりをし続けていた想いが形と色を伴って、ふくれあがって重なって、心臓ごと押しつぶされそうになる。どうしてここまで放っておいたのかと責めても意味がないことはわかっている。
 オンボロ寮に着いた。ありがとうって言わなくちゃ、またねって言わなくちゃ。口ごもっているとデュースの碧色の瞳が私を見下ろした。

「また明日な」
「あ……」
「ナマエ?」
「ご、ごめ」
「おい、本当に──おい!?」

 また明日、と言えなかった。返事もお礼もろくにできないまま寮に飛び込んで、その場に座り込む。
 恋をしてしまった。違う世界で生きてきた一人の男の子に。


  ◇


【20××年十二月、日本】

「あの、スマホの落し物は届いていませんか?」
「機種と色はわかりますか?」
「ええっと……」

 記憶を頼りにスマホの特徴を告げると、中年の駅員は「こちらで合っていますか?」と言ってカバー付きのスマホをかざした。画面に入っている傷と見た目からしても私のもので間違いない。

「よかった、それです」
「では身分証のご提示をお願いします」
「はい」

 財布の中に眠っている身分証を探しているあいだ、駅員は私の携帯を届けてくれた人についても詳しく教えてくれた。随分とお喋り好きな駅員らしい。

「届けてくださった方は何も言わずにいなくなりましてね。かなりハンサムだったんですけども」
「はぁ……」
「ついさっきのことだったんですよ。外国の方だったから日本語に自信なかったんですかねぇ」

 話を半分聞き流して探し出した私の身分証明書のコピーをとった駅員からスマホを受け取り、空っぽのポケットにしまう。駅員の彼にお礼を言って改札から出るとのっぽなビルを突き抜ける黒い空からは真っ白な雪が降っていた。そういえば、この雪は東京の初雪じゃないだろうか。ビルのあいだから吹き抜ける隙間風は信じられないほどに冷たく、電車内のヒーターが恋しくなってくる。

「デュース……」

 あまいようで苦い記憶とあの日の雪の冷たさを思い出して、何も巻いていない寒々しい首元に手を伸ばした。


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