ワールドエンドのその先に 02


「失せろ。耳障りだ」

 幸せは長続きするものじゃない。大きすぎる煌びやかな扉はわたしを拒絶しているかのように隙間なく閉ざされている。
 甥のチェカ様がお生まれになってから、レオナはわたしにも冷たくなった。ゆくゆくは現王のご嫡男であるチェカ様が王位を継承し、第二王子のレオナが王になることはない。頭脳明晰で魔法士としても優秀な彼はずっと葛藤し続けているのだと思う。事あるごとに陛下と比べられ、恐ろしい魔法を使う王子だと恐れられ、祝福と栄誉は彼には与えられない。箱入りの公女でしかないわたしには分からない苦しみを、少したくましくなったとはいえまだまだ幼い背中で背負っている。

「レオナ、レオナ。帰りますね。お邪魔しました」

 ドライフルーツもビーフジャーキーも長いこと共に作っていない。壊れかけの心にも触れさせてくれないレオナらしい強がりが、今ばかりは苦しかった。
 返事も聞かないままに彼の部屋の前から立ち去り、夕日が差し込む廊下を歩く。突き当たって右に曲がると、一仕事を終えて休憩しているらしい召使いたちの悩ましそうな声が聞こえてきた。

「レオナ様は気難しくていらっしゃる」
「どうしてもう少し穏やかになってくださらないのか……」
「お使いになる魔法も恐ろしいわ……」

 わたしに気づいていない彼らは、まるで愚痴を呟き合うかのように口々に棘のある言葉を吐き出していた。思わず拳を握っても心ない囁き声はちっともやまない。
 わたしはただの許嫁。レオナの妻でもなんでもない。召使いたちに注意することも妻として彼を支えることもできやしない、取るに足らない存在だ。そもそも、結婚したってわたしに彼を支えられるだろうか?
 漠然とした不安に駆られながら現実から目をそらすと、今よりもっと幼かった頃にレオナと遊んだ広い庭園が目に入り、なんとなく足を止め目を細めた。懐かしさよりもひりひりと痛むような切なさが胸をよぎるのは、仕方のないことだろう。子どもの時は、なにがあっても大丈夫だと、なんの証拠もなしに自信に満ち溢れていた。眠っているレオナにイタズラをして怒られたベンチ、寝転がりながら魔法を見せてくれた芝生、夕焼けの草原の歴史を詳しく教えてもらった先王たちの石像の下。どんなに変わらないものがあっても、わたしたちの関係は時と共に変わってしまったのだろう。
 足音がしたので振り返ると、レオナの兄上様──ファレナ様が苦笑いを浮かべながらお立ちになっていらっしゃった。慌ててこうべを垂れればレオナによく似たお声が聞こえてくる。

「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」
「そんなに畏まらなくていい。……少し聞きたいことがあるだけだ」
「わたしに、ですか?」
「ああ。レオナの様子はどうだろうか」
「相変わらずです。今日も顔も見ずに追い返されてしまいました」
「…………そうか。君ならばレオナも態度を改めると思ったのだが……」
「それは買い被りすぎでございましょう」
「いいや、レオナは君をとても気に入っている。ここ数年、私はろくに会話もしていないから」

 どんな言葉を返せばいいのかも分からず目を伏せると、後頭部にファレナ様の大きな手が乗った。

「私は君を妹のように思っているよ。どうか、弟をよろしく頼む」
「そんな……」

 畏れ多いです、と言おうとして、代わりに涙が落ちた。レオナの妻となって彼を支えていけるかの自信がないわたしにとって、ファレナ様の思いやりはあまりにも酷で、優しすぎた。


 レオナは誰よりも誰かに認められることを望んでいる。
 もしもレオナが第一王子として生まれていて、王位を継承していたならそれはそれは素晴らしい絶対王者となっていただろう。朗らかで穏やかなファレナ様よりもレオナは優れた王になるに違いない、夕焼けの草原の歴史にも名を刻む賢王になるに違いない。そう思ってしまうのは惚れた弱みというやつだろうか。
 けれど、レオナが王となっていたなら。わたしは彼の許嫁になることなく、ファレナ様の妻となっていたかもしれない。もしも初めに出会っていたのがファレナ様だったなら、わたしは彼に惹かれ、愛し、永遠に添い遂げていたかもしれない。でも、そこにいたのはレオナだった。わたしが出会ったのは、脱ぎっぱなしの服で散らかされ、貴重な魔法書がそこらに出しっぱなしになった部屋でくつろぐレオナだった。
 第二王子としての苦しみを背負い続けるあなたが、第一王子でなくてよかったと心の底で思ってしまうわたしはずるいでしょう、みにくいでしょう。そんなわたしが隣を望んでしまったから、バチが当たったのでしょうね。

「随分と仲がいいみてぇだな。お前も兄貴が好きか」

 久しぶりに顔を見せてくれたレオナはわたしを壁に押しつけ、その大きな手でわたしの首を掴んだ。距離は今までにないほど近いのに、氷のように冷たい翡翠の瞳はわたしを拒んでいる。「……なにを」おっしゃっているのですか、と口にする前に身体を突き飛ばされ、受身をとって顔を上げると、背筋がぞっと粟立つような殺気がレオナから沸き立っていた。拒絶、嫌悪、憎悪。ありとあらゆる負の感情を寄せ集め、煮詰めたかのような昏い瞳はどんな言葉のナイフより鋭く、強く、おそろしい。
 こわい、こわい。わたしの知るレオナがどこかに消えしまいそうで、怖い。

「毎日毎日うぜぇな……誰が来てくれって頼んだ? 鬱陶しい女は嫌いなんだよ、いい加減に気づけよ」
「レオナ、お願いだから話を──」
「ただの女ごときが俺の名前を気安く呼ぶな!!」
「……あ」

 嗚呼、と。唐突に、気がついてしまった。レオナは最初からわたしのそばにはいなかった。
 水分を失って乾いていく皮膚は砂漠の地のようにひび割れ、喉は何日も水を飲んでいないかのように渇き、ひゅ、と冷たい呼吸音が漏れる。どこもかしこも痛いのに、涙も出てこない。彼のユニーク魔法はすべてを干上がらせ、砂に変えてしまう。

「ご、めんな、さい、殿下」

 許嫁になることができて嬉しいと思ってしまった。好きになってしまった。
 “殿下”という響きがわたしとレオナの終わりを如実に表している。涙は出ていないのに声が震えて震えてダメだった。
 誰があなたの乾いた心をうるおしてくれるの。わたしはあなたの心に水をやることはできないのに。



 レオナは魔法士養成学校の名門であるナイトレイブンカレッジに入学し、夕焼けの草原を去った。彼がわたしにユニーク魔法を使って以来、わたしたちは一度も顔を合わせていないけれど、チェカ様やお父様からレオナの動向は聞いている。授業をサボりすぎたせいで単位が足りなくなり、また三年生をしているのだとか。面倒くさがりで全力を出したがらないレオナらしい。

「あっおばたん! おじたんだよ!」
「……ええ、そうですね」
「かっこいいなぁ……!」

 久方ぶりにお会いしたチェカ様は記憶よりも随分とご立派になられていた。沈んだ気持ちを悟られないように下手くそに笑えば、幼い彼はキラキラとした目でマジフト場を指さす。小さな人差し指の先には楽しそうな、そしてどこかニヒルな笑みを浮かべるレオナがいる。決して無邪気とは言えないけれど、久しぶりに見たそれに心が揺らぐのは当然のことだった。
 ナイトレイブンカレッジのマジカルシフト大会に見に行くから、とわざわざお誘いに来てくださったチェカ様のお気持ちを無下することができるわけもなく、憂鬱な気持ちのまま当日を迎え、観客席で試合を見ている。「チェカのお守りを頼む」とわたしにおっしゃった陛下と皇后様も、年々冷めていくわたしたちの関係を心配してくださっているのだろう。

「おばたん? どうしたの?」
「いいえ、なんでもありませんよ。ほらチェカ様、殿下が魔法を使っていらっしゃいます」
「わぁ! 本当だ!!」

 レオナの近くには女の子がいる。小柄でかわいらしい、少女だ。
 あの時は一滴も流れなかった涙が今度こそ落ちて、頬を滑っていく。鼻をすする音に気づいたチェカ様はわたしを見やると、わずかに目を見開き、かわいらしい小さなお耳をしゅんとお下げになってしまった。

「大丈夫? 泣いてるの? どこか痛い?」
「ふふ、砂が目に入っただけですよ!」
「本当に?」
「はい! 私はこのとおり元気ですから!」

 貼り付けた笑顔の奥で、どこかが「痛い」と悲鳴をあげている。わたしの言葉をそのまま信じたらしいチェカ様は、再び前を向くとすぐに白熱する試合に夢中になられた。歓声にかき消され、がらがらと瓦解していったのはわたしを守っていた最後の砦のようなもの。

 ──誰があなたの乾いた心をうるおしてくれるの。

 数年越しに、その問いへの答えは見つかった。レオナの心に水をやり、うるおし、癒すのはグラウンドに立っているあの子だ。わたしがどんなに頑張っても得られなかった、その役目。
 彼がナイトレイブンカレッジに入学した年から毎年欠かさずにテレビ中継を見ていたから分かる。あとは女の勘。いつだって気怠げだったレオナが、今年だけは棘の抜けた不敵な笑みを浮かべて楽しそうにしている。それだけでもう、十分だった。













「ご機嫌麗しゅうございます、両陛下。夕焼けの草原の発展と両陛下のご健勝にますますのお慶びを申し上げると共に、平素は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。……公女である身分ながら大変恐縮でございますが、お二人に折り入ってお願いが」

 申してみよ、とファレナ様のお隣におわする皇后様がおっしゃった。

「第二王子、レオナ・キングスカラー殿下とのご婚約を破棄させていただきたく存じます」

 両陛下の目前で跪きこうべを垂れるわたしには、空気がざわついたことだけがよく分かった。生家から受けるべき罰は勘当でも追放でもなんでもいい。乾いたこの心が癒えるなら。
 涙は一滴たりともこぼれなかった。


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