dear dear

6

 その向こうに現れた王の顔を見つめて、クレスツェンツは唇を引き結んだ。
「あっ、兄上」
 しかし緊張している場合ではない。兄にただ去られては困る。
「なんだ」
 不機嫌絶頂の彼には大変頼みにくいことだったが、今は彼に甘えるしかなかった。
「ひとりで脱げないのです」
「はぁ!?」
 汚れたエプロンの裾をひらひら揺らしてみせると、テオバルトは驚愕の表情を浮かべ――でも素直に首の後ろの留め具をはずしに来てくれた。
「ありがとうございます」
 エプロンを適当に畳んで抱え、お辞儀だけは文句のつけようがないように優雅に。
 テオバルトはもちろん何か言いたげだったが、王に下がれと言われたからには下がるしかないのだ。
 口惜しげな兄の背中を舌を出して見送ると、クレスツェンツは顔を伏せて王の傍へ歩み寄った。今日は作法の通りに。エプロンを抱えているのは仕方ないが、少し腰を落としてお辞儀をしたまま、王がよいと言うまで顔を上げない。
「お目汚しをいたしました。申し訳ございません」
「あまりテオバルトの気を揉ませるでない。あれはあれで、そなたのことを思っている。近う」
 王の声音には、ほのかに微笑の気配が感じられた。けれどその表情を確かめる前に隣へ呼び寄せられる。目を合わせる隙もなく、クレスツェンツは王が指さした中庭に視線を滑らせた。
 日陰にはまだ雪が残っているものの、そこには黒々とした土がむき出しの花壇があった。
 あそこに隠れて泣いたことが懐かしい――ふと口許をほころばせるクレスツェンツに、王は問う。
「この庭の世話は僧侶たちが?」
「はい。建物に風を通すための庭ですが、殺風景なのもつまらないと。ここで育てた花は病室に飾ったり、手伝いに来てくれた者に分けてあげたりします。そこで生る胡桃(くるみ)はパンやお菓子に入れて皆で食べますし」
 クレスツェンツが答えたきり王は反応をくれなかったので、まるで独り言のようになってしまった。

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