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正式な発表と王家からの婚姻の申し込みがまだではあるが、それは周知の事実。今、クレスツェンツほど注目を集めている姫君はいまい。
やがて父から公爵位を継ぎ政界で生きていくテオバルトは、妹が手に入れる地位を最大限に利用したい。ゆえに、万が一にでも国王と妹の縁談が破談になっては困る。
だからこの頃は特に、クレスツェンツが施療院へ通うことに対していい顔をしなかった。姫君らしく大人しくしていろというのだ。
それで屋敷から出ることをやめる彼女ではなかったが、おかげで仲の良かった兄と衝突することは増えた。今日のように。
兄のことが嫌いではないから余計に面白くない。でも彼に従うつもりはない。するとまた喧嘩になる。
こうして溜まっていく鬱憤は、いずれ自分が王妃になったときに晴らしてやる。公爵家の後ろ盾を存分に利用し、自分がやりたいことをやってやるのだ。そう思うことにしていたが――
(やりたいこと……)
それが何なのかを己に問うと、いつも答えが思い浮かばない。
この問いに答えが出せない限り、クレスツェンツは施療院を遊び場にしている世間知らずな姫君のままだ。
兄やあの少年に何も言い返せなかった。
彼女はいつの間にか鍵盤を叩くのをやめ、樺色とすみれ色が溶け合う夕空をじっと眺めていた。
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