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葡萄酒が唇に触れるまま、クレスツェンツは杯の中に向かって呟いた。
教会が旧くから行っている慈善事業に、『施療院』という仕組みがある。
医療の心得のある僧侶たちが無償で傷病者の治療を行う施設だ。
国教で祀る天の主神は弱き者を扶けることを正義のひとつとしていて、施療院はそれを体現した機能だった。
シヴィロ王国の都アマリアにおいては、グレディ大教会堂の隣に主院、都の東部、西部にひとつずつの支院があり、医道を修めた僧医たちが街の人々の治療にあたっていた。
クレスツェンツはその慈善事業に協力的だった祖母に連れられ、幼い頃から施療院に出入りしていた。
もともと好奇心旺盛で活発だった彼女はすぐに院内の仕事を手伝うようになり、祖母が亡くなった今でも施療院に通い続けている。
自分の行動が姫君らしからぬことは重々承知していた。
病人や怪我人が集まる施療院は貴族の目から見ると汚らわしく危険な場所だ。そしてその認識が間違っているともいえない。
血や汚物で手が汚れることもあれば、病を伝染される可能性だってある。クレスツェンツとて、祖母に連れられて行かなければ一生近寄る機会はなかったと思う。
そんな場所で王家の血を引く姫君が病人の食事の介助をしたり、汚れた洗濯物を運んだりしているとは誰も想像出来ない。
しかし実態が分からないからといって「遊んでいる」と評価されるのは不服だった。クレスツェンツは働いているのだ。僧侶たちとともに、真剣に命と向き合っている。
でも、知らない者たちからすればそんな事実はないも同じ。
年頃の姫君がふらふらと遊び回っているように見えても仕方がないのかも知れない。
彼にもそう見えたのだろうか。
エルナのために祈りに来てくれた彼にも。
妹は事情を話そうとしないものの、悄れる様子からテオバルトには何があったのか察することが出来た。
彼女が落ち込む理由はこのところ決まっている。
「まあ、詳しくは聞かないでおくけれど、きっとその小僧≠フ意見が、世間様のおおよその考えだよ」
テオバルトは杯の縁を撫でながら妹の横顔を覗き込む。そして予想通りに殺気立った目つきで睨まれた。
彼女の厭がる言葉を投げつけている自覚はあるので、その素直な反応はむしろ可愛く思うほどだ。
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