天槍アネクドート
ルピナスの迷走(4)
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 きれいな黒髪をわしわしと掻いて、彼は勢いよく顔を上げた。
「国王陛下からの賜りものを勝手に売ったなんて……!」
「陛下がわたくしに下さったアクセサリー、つまりわたくしのものだ。違うか?」
「違います! あなたのものでもあるでしょうが、王家の私財でもあります!」
「まぁそうだけど……わたくしは水晶より硝子の方が良かったのだ。だから作り替えてきただけ。水晶は不要になったので売った。すると硝子と水晶の差額が金貨に変わって手元にやってきたので、それをケーキに変えたと、つまりバレたときのいいわけはちゃんと考えてあるから大丈夫だ」
「また子供みたいな理屈を……すぐに買い戻してきなさい」
「分かってる分かってる。また近い内に寄付があるし、売ってきたと言うより質に出してきただけだから、陛下のお耳に入る前にきっちり買い戻してくるさ。しかしあの水晶な、カルセドニーとの合いの子のような珍しいものだったらしくてな? 水晶など安いものだし二千シピルくらいになればよいと思っていたら五千シピルを飛び出るくらいで、」
 ばし、と重たい音を立てて、アヒムの手が薬の処方をまとめた紙の束に振り下ろされる。敢えなく黙って縮こまったクレスツェンツを睨み、彼は溜息をついた。
「笑い話で終わればよし。ですが、こんな姑息な真似を繰り返せば陛下や廷臣の方々の信頼を失うばかりか、民衆の支持も得られなくなってしまいますよ。せっかく赤痢の収束に一定の功績を認められたのに。この二年を台無しにしかねない軽はずみな行動です。おわかりですか?」
「……当たり前だ」
 苛立つアヒムの言葉に、クレスツェンツは低い声を返した。
 本来は、僧侶が修めるべき学問の一つ、医道の修行を兼ねて行っていた慈善事業――それが施療院だ。今まで、貴族や民衆が寄進以外でその運営に関わることはなかったが、これを国営化しようと活動を始めたのがクレスツェンツだった。彼女は王妃という地位を運命的に手に入れ、少女時代から続けていたその活動にますます情熱を注いでいる。
 しかし国の事業として予算をもらうためには、まず施療院の運営資金を国庫から出すという法律が必要だ。施療院がもともと教会の有する機構であるため、その運営を王と貴族による政治が引き受けることを疑問とする声が大多数を占めているのが現状で、とても貴族院がそんな法案を承認してくれる状態ではない。
 そこでクレスツェンツは、王妃という地位と注目度を最大限に活用して外交に出た。サロンに招いた貴族の夫人達から始め、彼女たちの「か弱い者に同情することで得られる優越感」とでも言うべきところに付け入れば、情報が広まるのも早ければ金も思っていた以上に集まる。そのうち話題性に飽きた道楽好きな女達は去って行くし、本当に関心を持ってクレスツェンツの支援者になってくれる者も。
 とにかく現段階では、施療院の機能がいかに有益かを、貧富の差に関わりなく世に知らしめていくのが肝要なとき。
 今年の赤痢の大流行は、言い方は悪いがよいタイミングだった。疫病は常に人類にとっての恐怖。しかし組織的な対応によって、救われる命が多くある。クレスツェンツが指揮し、小規模ながらそれをやってのけた。施療院の存在は、庶民の心にも貴族の心にも刻み込まれただろう。

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