天槍アネクドート
冷たい夢の続き(2)
[しおりをはさむ]



 しかしふと、キルルの口の端が切れていることに気づいた。傷は数日前のもののようで乾いている。周りがほんのりと青くなっているが、それも腫れが引いたあとだった。
「キルル、その傷は? どこかにぶつけた?」
 指先で傷の具合を確かめようと手を伸ばしたら、彼女はすっと身を引いてしまう。
「殴られたのか?」
 傷を見て、すぐに浮かんだ確信に近い問いを投げかけると、キルルはあっさりと頷いた。
「誰に、いつ?」
「ごめんアヒム……あたし、どうしてもアヒムを助けたくて」
 キルルの返事は問いの答えにはなっていなかった。
 だが、アヒムはやっと目を覚ました心地だった。
「――ヘルゲは?」
 腹部の痛みの理由を思い出す。刺された場所を手で探ってみるが、傷がない。
「ヘルゲは捕まってる。牢の中よ。明後日には太守さまの兵隊が引き取りに来るって」
「キルル、まさか、」
「ごめんなさい! でも、ユニカもあなたが死ぬのは嫌だって、それで……」
 呆然としながら天井を見ていたアヒムだが、娘の名前を聞くや否や、再びベッドの上で起き上がろうと藻掻く。今度は痛みに堪えてどうにか上半身を起こすと、側で項垂れるキルルの腕を掴んだ。
 びくりと震えてアヒムを見上げたキルルは、ぐっと狼狽える気持ちを飲み下すと、睨むように見つめてくるアヒムに向き直って声を荒らげた。
「あたしも、ユニカも、どうしてもアヒムを助けたかったの! だからユニカの血を貰ったの、ユニカは拒まなかったわ。だからいいじゃない、ユニカが選んだならいいじゃない!」
「……ユニカは普通の子供だ。みんなでそう約束したじゃないか。どうして、」
「だから、アヒムを助けたからだって言ってるでしょ! あたし、アヒムが死んだら生きていけないわ。ユニカが傷ついたことも分かってる、でも、あたしはユニカが傷つくことよりあなたがいなくなることの方が、ずっと嫌だったのよ!」
 そう叫ぶと、キルルはアヒムの首にしがみつき、声を上げ泣き始めた。その勢いを受け止めきれず、彼はベッドに倒されてしまう。肩口に顔を埋めてしゃくり上げるキルルの背をそっと撫でながら、アヒムは何も言わなかった。
 応えてあげることは出来ないが、キルルの気持ちはよく知っている。だから、この子の言うことは分かる。分かるけれど、受け入れられない。どうしてアヒムが大切だと思うことをないがしろにするのかと、責めたくなる。
 けれど、その言葉は必死で呑み込んだ。キルルにはキルルの思いが、アヒムにはアヒムの思いがあっただけだ。噛み合わなかったことに、正邪は関係ないと自分に言い聞かせて。
 ただ、そのために傷ついた子がいるのだ。
「ユニカはどこに?」
「アヒム……っ」
「話をしなくちゃ。ユニカはどこにいる?」

- 3 -