天槍アネクドート
さいしょの贈りもの(15)
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 息子が機嫌よく眠っているのを見計らって、テオバルトは部屋から妻を連れ出した。
 上着のポケットの中で真新しい鍵を転がしつつ、三日前に竣工し、先ほど家具の搬入を終えた新しい離れに彼女を誘う。
 凝った造りの割に工期は一年、という無茶を言ったのだが、腕のよい職人達が集まったおかげで増設したとは思えないほどしっくりと新しい離れが屋敷にくっついている。
「入るのは君が一番だ」
「わたくしですか?」
 怪訝そうにするヘルミーネに、温めてあった鍵を渡す。離れの使い途を知らされていない彼女は、手の中に転がり込んできた鍵が可愛らしいアイリスの花を模してあること、薄紫のリボンが結んであることを不思議そうに見つめている。
 一年あまりを一緒に過ごして分かったことだが、ヘルミーネは機嫌がよかろうと悪かろうと、あまり感情をあらわにする女ではないらしい。結果、やはりどこか素っ気なく感じるが、きちんと観察すれば彼女の喜怒哀楽は紺色の瞳の中に見いだせる。嬉しい時は淡く微笑んでくれるようにもなった。
 ちなみに、男の繊細さをまったく理解していない妹の背筋が凍るような指摘は、心配する必要のないことだったらしい。そうと分かればヘルミーネの控えめな反応をよくよく探すのもまた楽しみに――という話は置いておき。
 息子も生まれ、夫婦仲はすっかり円満だった。
 そして今日、旅先でテオバルトがヘルミーネへ贈ると決めたものが完成した。
「君の部屋だからね」
 離れの扉にもアイリスの花が彫刻されていた。エルツェ家の家紋は蘭の花だが、あえてそうしたのはヘルミーネが好きな花だったからだ。
 ヘルミーネの目が少し丸くなる。驚いている――彼女がアイリスの扉に鍵を差し込み、押し開け、唇を薄く開いてさらに驚くのを、テオバルトは満足げに眺めた。
 扉の先は、広くはないが明るい、天井の高い八角形の部屋だった。壁紙にも、机と椅子、暖炉の彫刻にも、ソファの布地にもアイリスの意匠を用いてある。
 天井には川辺の街や港――ロウレージ大河のほとりの風景画をはめ込んだ。風景画を描かせるにあたっては現地を知る画家を探し、完璧に再現するよう脅し……もといよくよくお願いしたので、ヘルミーネのお眼鏡にもかなうことだろう。
「この部屋は我が家であって我が家ではない。公爵家とは関係ない、君の城だ。一人でゆっくりしてもいいし、友人を招いても、カイと昼寝をするのに使ってもいい。もちろん私とここでいちゃいちゃ≠オてくれても。それから、」

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