天槍のユニカ



冷たい夢(21)

 這いつくばって泣いていたヘルゲは、床に額を擦りつけたまま叫んだ。
「アヒム、ユニカは自分の血のことを知らねぇぞ。お前、何かしたんだろう。都から薬を取り寄せて、ユニカに何しやがったんだ? 血を独り占めにするつもりなんだな。お前は医者だ、珍しい薬≠ヘ自分だけのもんにしておきてぇよな」
「ヘルゲ……」
 ユニカはアヒムの声が震えたのに気づいた。その彼と目が合い、息を呑む。
「ユニカ、すまない」
 彼は謝った。ユニカが養父も故郷も亡くし、王城に引き取られるまで、それが何に対する謝罪だったのか知ることはない。けれどその理由を知った時、ユニカは養父がユニカから奪ったものを同時に知った。
「村長、自警団長を、早く。ヘルゲが落ち着くまで、ユニカから引き離さなくては」
「そ、そうだ! エルマー、悪いがそういうことだ。しばらくヘルゲを見張らせてもらうぞ。リドーを呼んでくるんだ!」
 ヘルゲの兄は批難のこもった目で弟を睥睨し、黙って灯りを持ち教会堂を出て行った。
 扉の閉まる音が不気味な沈黙の中に響く。その余韻も消えると、ヘルゲはぶるぶると拳を震わせながら立ち上がった。ユニカを抱き上げ背を向けたままのアヒムを、憎悪のこもった目で睨み付けながら歩いてくる。
「ヘルゲ! 動くんじゃない、大人しくそこで待て!」
 村長が怒鳴っても聞こうとせず、彼は一歩一歩、床板を大きく踏みならしながら近づいてくる。手に持ったナイフを握り直すのが見え、皆息を呑んだ。
「導師様……」
「大丈夫」
 アヒムはユニカを抱えたまま振り返り、殺意を持ってこちらへ歩いてくるヘルゲを見つめ返した。灯りを反射しぎらつくヘルゲの目に射すくめられ、ユニカはアヒムの首筋にぎゅっとしがみつく。
「アヒム、なぁ、頼むよ。俺とレーナの結婚式を挙げてくれたのはお前だろ。子供が出来たの、お前だって喜んでくれたじゃねぇか。俺は、まだレーナと一緒にいたいんだ」
「そのためにユニカに犠牲を強いるのは間違っている。この子は普通の子だ。私の娘になった時から」
「――そうかよ。じゃあ、仕方ねぇや」
 ヘルゲは一瞬だけ普段と変わらない笑みを浮かべた。それが彼の中で消えた最後の理性だったのだろう。

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