天槍のユニカ



相続(10)

 昔と同じ願いをこめて糸を切ると、隣から小さな悲鳴が聞こえた。さっきから何度も耳にしている声だ。
「大丈夫?」
「う、……はい」
 エリュゼは針で指先を突っついては手を止めている。大げさなくらい慎重な手つきなので幸いにもまだけがにはいたっていないが。作業も遅々として進まず、ラベンダーの花らしきものが三、四粒、白布の上に並んでいるだけだった。
 貴族の姫君は普通は裁縫などしない。それは職人の仕事で、労働だからだ。それゆえエリュゼが果敢に挑みながらもこの程度なのは別におかしなことではなかった。
 しかしエリュゼはいつでもてきぱきとユニカの世話をしてくれていたので、なんでも出来るように思えた彼女が必死になっている様子は見ていてちょっと面白い。その眉間のしわの深さを見るに、とても口に出せないけれど。
「そんなにしっかり布を掴まない方がいいわ。だから針の出るところに指があるのよ。枠を持ったらいいのに」
「でも、なんだか布が不安定で……」
 エリュゼがあんまりがっちりと布を持っていたので、布が刺繍枠から引っ張り出され弛んでいるらしい。ユニカはエリュゼから布を受け取り、もう一度ピンと張り直ししっかりと螺子(ねじ)を締めて返してやった。
「枠を持つのよ」
 エリュゼはユニカの言葉に重々しく頷いたが、次の針を刺す前にくすりと笑った。
「不思議な感じがします。去年は、ユニカ様が教会に納める刺繍を刺していらっしゃるのを横から見ているだけでしたから」
「私も……エリュゼがこういうものに興味があるとは知らなかったわ」
「王妃様にお仕えしていた頃は、わたくしはユニカ様の刺繍の完成品しか見たことがありませんでした。それがこちらへ参ってからは、ユニカ様が大きな布に絵を描いてもっと大きな枠にその布を張って、一針刺されるごとに絵に色がついていくのを見て……魔法のようだと感動しておりました。本当にああやって一針ごとに絵が出来ていくのだと知って」
「そんなふうに思われていたのも、知らなかった」
 何しろエリュゼもほかの侍女と態度がそう変わらず、ユニカに対して積極的に親切であったり友好的であったりはしなかったのだ。むしろ小言が多く、だらしない生活をしている娘だと思われていた――とユニカは考えている。

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