天槍のユニカ



『娘』の真偽(14)

 うるさかったかも知れないが、肩越しに振り返って見るユニカに反応はない。これしきの騒ぎでは目を覚ませないほど彼女は弱っているのだ。命に別状はなさそうだが、回復にはどれくらい時間がかかるのだろう。
 ディルクがわざと自分から関心を逸らしていることに気がつき、エイルリヒは扉が閉め切られるのと同時に再び声を張り上げた。
「行かないわけにはいかないでしょう? あの女侯爵、いくら先延ばしにしても兄上に接触しようと迫ってくるんですから!」
「分かったからもう少し声を抑えろ」
「彼女との接触を避けて通れるものと思わないでください」
 ディルクは相槌も打たなかった。ただ「しつこい」と言わんばかりにエイルリヒを睨み、カウチに座る。そして何もないテーブルの上を見つめるばかりで、弟の言葉に答えを返す気配はない。
「まあいいでしょう。今日のところは、僕が名代。それで黙らせてきますから、兄上はユニカのところにいてください。彼女が目を覚ましたらすかさず『私が助けた』って王子様っぽく主張してお近づきになるんですよ。兄上が楽しいならやめろとは言いませんが、寝てる間にキスしててもぜんっぜん意味ないんですからね。僕らはまだ彼女に少しも認知されてないってことをお忘れなく」
 兄が返事も抵抗もしないのをいいことに、エイルリヒはディルクの頬をつねって引っ張ってみた。見目麗しい顔がくにゃりと歪むのを見て少しだけざまあみろと思ったが、やはり反応がないので、つまらなくなって手を放す。
「それだけ言いに来たんです。あとはお願いしますね。マティアス、行きましょう」
 ユニカの部屋を出たエイルリヒは、薄暗い西の宮の廊下を歩きながら舌打ちした。
「まったく、か弱い兄上≠ナす。ねぇマティアス?」
「……」
 侍従が返事をしないのは承知の上で彼はさらに吐き捨てる。
「この僕が百万歩くらい譲って認めてあげるって言ってるのに」
 ディルクの駆け引きの巧さは、ずっと彼を観察してきたエイルリヒがよく知っていた。大公はそれを認めなかったが、次の大公になるエイルリヒが認めてやると言っているのだ。ディルクが王になったら、彼の王冠と王錫のもとに仕えてやると。
 しかしそれだけではディルクにかけられた呪いは解けないらしい。
「ディルクのやる気が挫かれると本当に困るんですよね……。仕方ない、あれ≠ヘ早めに排除しておきましょう」

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