天槍のユニカ



『娘』の真偽(9)

 しかし、寝台から立ち上がろうとしたところでディルクは急に動きに詰まった。振り返れば、上着の裾をユニカに掴まれているではないか。
「……し、さま」
 彼女は誰かをしきりに呼んでいた。目は開いていないので、夢を見ているらしい。
「よくお休み。近くにいてあげよう」
 上着を掴んだユニカの手を解き、ディルクは彼女の耳許に囁きかけた。すると彼女はか細い声で肯き、また深く眠りに沈んでいった。
 力の抜けた手を毛布の下に戻してやりながら少し意外に思う。孤立しているように見える彼女にも心細い時に頼れる相手がいるのか?
 疑問は解決できないままもう一度ユニカの髪を撫で、ディルクも寝室を出た。
 主室ではエイルリヒがすっかりくつろいでカウチに座っていた。そしてユニカのものと思しきドライフルーツを摘んで食べている。
 主室には彼一人でフラレイがいない。ティアナが諸々の用意を手伝わせるために連れて行ったらしい。
 ディルクは座れる場所を探して室内を見渡した。いかんせん、自分も血塗れだ。血がついても拭き取れる所にしなくてはと思い、部屋の真ん中にあったテーブルの椅子を選んだ。
「マティアスが戻らないな。この部屋が分からないからか」
「いえ、今し方戻って来ましたよ。血痕をたどって来たって。カミルを温室に忘れてきたことを思い出したので回収に行かせました」
「ああ、そういえば……」
「それから、彼女を襲った男は取り逃がしたそうです。ドンジョンへ入る門の周辺で見失ったって。おおかた兵の詰め所に逃げ込まれたんでしょうが、マティアスにそこを検める権限なんてありませんからね」
「まあ、王家の私的な空間で彼女を襲うくらいだ。組織的で当然だろう。どうせその男を捕まえてもトカゲは尻尾を切るだけだ」
 ディルクは血の染み込んだ上着を脱ぎながらエイルリヒが手を伸ばす先――ドライフルーツの皿の横に置かれた短剣にちらりと目を遣る。
 その遺留品も大して手がかりにならない。この手の短剣は、貴族の成人男子が正装時に帯びるものだ。城兵に任じられる者なら必ず自分の剣を持っているが、近頃は庶民の間でも流行しているらしく、市井では同じ鋳型から大量に作った安価な短剣が流通していた。

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