家名(14)
とはいえ心当たりはない。
以前ディルクに紹介されて以来、挨拶の先の言葉を交わしたのはこれが初めてだったし、クリスティアンはエリュゼの質問に答えただけである。
何がお気に召さなかったのやら。
いや、気づかないふりをするのは彼女に失礼だ。クリスティアンは一人苦笑した。
プラネルト伯爵は、今やシヴィロ王国ただ一人の女の世襲貴族だそうだ。その祖が王家に起源を持つエルツェ公爵家であることも合わせて、彼女が守りたい矜持があるのだろう。
そんな彼女から見ると、大公の覚えがめでたいにも関わらず主君を鞍替えするクリスティアンは、薄情で不忠者に見えるのかもしれない。
しかし、クリスティアンがディルクの傍にいたいのも本当だし、公国での弟の立場を守りたいのも本当。
その両方を叶える手段が爵位を棄てることなのだ。
仕方なく選んだ道ではない。そして、ディルクが許してくれれば、周りからの評価は大した問題ではなかった。
エリュゼの背中が薄闇に紛れ見えなくなったところで、トコトコと無防備な足音で近づいてくる者があることに気づいたクリスティアンは振り返る。
やってくるのは、今しがた立ち去ったエリュゼをそのまま小さくしたような少女だ。タイミングがよいだけについびっくりしてしまう。
けれどその少女がユニカの侍女の一人、ディディエンであることはすぐに思い出せた。むしろ、これまでエリュゼとディディエンがそっくりであることを気に留めなかった自分の迂闊さに参った。
ユニカに仕えることになるなら、もっと彼女の周りに目を配っておかなければ。
「何か」
クリスティアンに問われると、トコトコやって来たディディエンはぺこりとお辞儀をして言った。
「テナ侯爵様、王太子殿下がお探しになっていました」
「ありがとう、すぐに戻るよ。ところで君はプラネルト伯爵の……」
腰を伸ばし、まあるい目で真っ直ぐにクリスティアンを見上げるディディエンの視線は実に肝が据わっていた。妹です、と短く答える声もはっきりしている。
なるほど、立ち居振る舞いまでよく似ている。伯爵姉妹には王族に仕えるためにしっかりと教育された自信があるのだろう。
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