空の器(14)
「そうか」
王は猶子に迎えたディルクのことを、名前ではなく「王太子」と呼んだ。それはユニカへの控えめな牽制だったに違いない。彼は王家を継ぐ者であり、王との約束のためだけに城に留まるユニカと彼の運命が、この先交わることはないのだと釘を刺したかったのだろう。
噂のように、二人がすでに深い仲で、王太子がユニカとアレシュが踊ったことに嫉妬したのだということは、ぜんぜんない。あれは嫉妬ではなく、きっと、自分のものを盗られたのが気に入らなかっただけだ。
嫌な感触がよみがえらないように、ユニカはきつく唇を噛む。
王にも薄々疑われていたのはひどく不愉快だった。ユニカがそんな望みを抱く娘に、少しでも見えていたということだから。
「私は、陛下のお命を頂くためだけにここにいます」
だからユニカも釘を刺す。
ユニカの行く先と交わるのは王太子の人生ではなく、王の最期であるのだと。お互いに忘れないために。
「――その通りだ」
王は目を伏せ、溜息のように呟いた。
歪な約束が、今日はもっと歪に思えた。葡萄酒をすする王をぼんやりした心地で眺め、それから、ユニカは暗い温室の天井を仰いだ。
蔓薔薇が絡む東屋の屋根の向こうに、ぼんやりと白く光る夜空の薄雲が見えた。
季節が変わってしまう。
王城へやってきてから、また時が進むのを実感する。ユニカを引き取ってくれた王妃が死んで、その子のクヴェン王子も死んで、ディルクがやってきて、自分は王族になどなってしまって。
嵐のように過ぎ去った冬だった。でも、その中で大きく揺さぶられながらも、ユニカと王の約束だけは変わらない。
無機質に、鉄のように、形を変えない。けれど、錆びて、ぽろぽろと表面が崩れて、変質している気配はあった。
それは王妃が死んで、クヴェン王子が死んで、ディルクがやってきたからだと思う。そして知りたくもないことをたくさん知ってしまったからだと思う。
小さな杯を満たしていた血のように赤黒い葡萄酒を飲み干した王を、まっすぐに見つめる。ユニカにも確かめたいことがあった。
「酒杯が空いたのでしたら、私の血をそこへお入れしましょうか」
平坦なテーブルの上をなぞるように低いところを伝って、ユニカの声は王の耳に届いた。国のために尽くし、しわを刻んだその手がふと動きを止める。
「今日はよい」
そして、思った通りの言葉が返ってくる。
「何故ですか。今、私の前で飲むことが出来ないからですか。いつも、棄てておいでだから、」
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