天槍のユニカ



空の器(13)

 ここまで足許を照らしてくれていたディディエンを残し、ユニカは東屋へと登った。中で待ち受けていた王はぴくりとも動かなかったが、ユニカが腰を下ろすと、テーブルの上にあった杯のうちの一つをすっと差し出してきた。
 温くなった葡萄酒だ。いつもは互いに目も合わせずに話を済ませるだけなので、ユニカはつい王の表情を窺ってしまった。飲み物を勧められたことは初めてだったのだ。
「このひと月、そなたは王族らしい振る舞いに努めた。よくやった」
 ユニカはますます驚いた。まさかこの男に労をねぎらわれる日がこようとは思ってもいなかった。
「エルツェ公爵は、そのようには思ってくださらないようです」
「あれは女にも厳しく器量を求めるゆえな」
 エルツェ公爵はユニカを養女に引き受けると内諾したときから、ユニカに価値ある娘≠ナあることを求め続けてきた。夫人のヘルミーネや、妹であり王妃となったクレスツェンツと比べていることが分かるので、もとから彼の要求に応えることは諦めているユニカだ。立派な貴婦人になる必要も感じていなかったし。
 そして、王族として公式の場に出なければならない日々もようやく終わった。
 明日、ユニカはこの城を降りてエルツェ公爵家の屋敷へ向かう。ユニカが公爵家の養女となることも正式に発表される。諸々の儀式はまだ先だが、これで一つの騒動が収まる。
 新たな騒動が巻き起こってはいるのだけど……。
 思えば、いつも必要最低限の伝達事項しか口にしない王が葡萄酒などを勧めてきたのは、初めからその話をするためだったのかも知れない。
「明日の出立には、近衛をはじめ王太子が警備の指揮官としてエルツェ家の屋敷まで同行するが、」
 一口くらいは舐めて形式を整えておこう。そう思って杯の縁に唇をつけたユニカは、そのまま上目遣いに王を睨む。温い葡萄酒から立ち上る香りが途端に不愉快になった。あの夜の口づけを思い出してしまった。
 タン……と静かながらも乱暴に杯をおいたユニカに対し、王は珍しく気後れした様子だった。
「トルイユの使節と親しくなったのか」
 不自然に飛んだ話題。王が聞きたいことは分かっている。けれどユニカは素直にその質問に答えた。
「そんなはずがありません。私は本物の王族ではないのです。誘われて、断りきれなかっただけです。いけませんでしたか」
「いや……まさかそなたが、用意した相手以外と踊ることがあるとは思わなかった」
 思わなかったから、なんだというのだ。何もかも不本意だった。あの場にいたことも、ディルクに誘われたことも、アレシュとかいうあの若者と踊ることも。それをわざわざ蒸し返され、ユニカはいつになく攻撃的な目で王を睨み返していた。
「陛下がご心配なさっているようなこと≠ヘ、何一つ事実ではありません。こう申し上げればご満足でしょう」
 すっと、音もなく王が顎を引いた。頷いたのか、ただ居住まいを正しただけなのかは分からないが、一瞬気まずさのよぎった彼の表情には平生の冷静さが戻る。

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