天槍のユニカ



不協和音(4)

 そして言うや否や、彼はユニカの背に添えていた手をそっと引く。
「わずかな時間でしたが、お相手頂けて光栄でした。次の機会があることを心から願っております」
 曲はまだ終わらない。周囲のカップルは踊り続けている。だというのに男は終曲のお辞儀をして――血の滲んだ手でユニカの指先を捕らえ、厳かに口づけた。
「そのときまで姫君が私の名を覚えていて下さいますよう。アレシュ・ブルシークと申します。また、いずれ」
 男は一方的に告げ、波打つ前髪の陰から怪しく微笑むと、ユニカを踊る人々の群れの中に残し、舞い散る花びらのような衣装の間をすり抜けて去って行った。


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 人々がホールから去る。けれどユニカはその場から動けなかった。
 そんな彼女を怪訝そうに見る貴族達だったが、佇んでいる娘がユニカであることに驚き、そして彼女を目指して歩いてくる人物に驚き、自然と二人を結ぶように人垣が割れて道が出来た。
 ホールの床を乱暴に打ちながら進んできたディルクは、立ちすくむユニカまであと四、五歩を空けて立ち止まる。まるで次の一曲の相手を申し込むような距離だが、眉間に寄った皺がそうではないと物語っていた。
「なぜあの男と?」
「……誘われて」
「君はエリーアス伝師のところへ行くと言っていたはずだ」
「その途中で、声をかけられたのです」
 ユニカが言うことを聞いているのかいないのか、ディルクの視線は不意に背けられた。彼は二人の回りに新しいカップルがひしめきだしたのを確認すると、空けていたユニカとの距離を無造作に詰める。
「場所を移そう」
 場所を移して何があるというのか。ユニカは冷ややかなディルクの声に、不安を覚えた。が、強い力で手首を掴まれ、抗う術もなく彼に引っ張られるままカップルの合間を縫ってホールを抜ける。
 手を取り合う男女は物見高く二人の姿を目で追っていたりもしたが、やがて次の曲の前奏が始まるとそんな視線の気配もなくなった。
 無数の灯火と水晶のプリズムに見送られながら、ユニカはディルクに手を引かれるまま、薄暗い宴の片隅へと戻ることになった。


 迎賓館の大広間は、王城の中で最も広い宴の会場だ。三階までが吹き抜けで、天井からは大きなシャンデリアがいくつも吊され、ふんだんに施された黄金の装飾で夜の宴でも明るさは申し分がない。

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