天槍のユニカ



両翼を成す子ら(8)

 しかしそうはさせない。新しい王太子が誰と誰の血を継いで生まれてきたのかを、いずれ公に認めさせる。そして中央で失った影響力を取り戻し、政界へ復帰するのだ。
 そんな野望を滲み出させる女侯爵が扇をぱたぱたさせると、つんと香水の匂いが漂ってきた。なるほど、エイルリヒはこれが嫌なのか。固まりきった笑顔で女侯爵に相槌を打っている弟が面白い……もとい気の毒だ、とディルクは思った。
 ユニカからもとても強い香りを感じたけれど、あれはいくら強く香っても、決して嫌な気分にならない匂いだった。脳を直接包み込む、甘い花の匂いでもあり、麝香のようにつんとした渋みもあり、思わず手を伸ばしたくなるような。
 あれから彼女には会えていない。もう身体は大丈夫だろうか。
 そういえば、西の宮に立ち入ることは禁じられたが手紙や贈りものは禁止されていないのだ。明日にでも何か届けてみよう。
「殿下?」
「ああ、はい、なんでしょう」
 自分を拒む青い瞳に思いを馳せていたディルクははたと現実に戻った。目の前にあるのが会いたくもなかった老女の顔で、残念なことこの上ない。
「いやですわ、ぼうっとなさって。お酒を過ごされましたかしら?」
「いいえ、さほどのことは」
 しかし微笑まないわけにもいかず。
 女侯爵はディルクの社交の笑みを好意の表れととっているのか、初対面の緊張感も遠慮もまるでなかった。近くにいた召使いを呼びつけると、彼女から受け取った杯をディルクに押しつけてくる。
「でしたら、ぜひこれをお召し上がりくださいな。我がタールベルク領邦の葡萄酒をお持ちしましたの。ハイデマリー様も親しんでくださったものですのよ」
 そう言いながら、女侯爵手ずからディルクの手にあった杯に葡萄酒を注いだ。
 少し緑がかった黄色が彼女の領邦特産の葡萄酒である証らしい。確かに美しく珍しい色。甘みが強いがあとに残る酸味もほどよい。素直にディルクが褒めると、女侯爵はえ笑って顔のしわを深くする。
「エイルリヒ様にはこちらをどうぞ。お酒を作るのと同じ葡萄で作ったシロップを、お城のソーダ水で割ったものですの」
「ソーダ水? それは珍しい。城内にあるのですか」
「殿下はまだご存じないのね。ドンジョンの奥に湧いているそうですわ。街区へも水道管を使って引いてあるので、貴族や市民も利用しております」

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