天槍のユニカ



秘密の蓋(2)

「もちろんですとも。さあお二人とも、さほど時間はございませんぞ。どうぞ鏡の前へ」
 エルツェ公爵は近い内にユニカを養女に迎えるという立場でもあるせいか、既に父親気取りで、現在のユニカが王族の身分を持っていようと敬意を払うつもりなどまるで無い。しかし人目がある場所では別だ。レオノーレの手前、公爵は急に恭しくユニカの手を取り、鏡台の前まで導いてみせる。
「明るくて面白い方だと思っていたけど、外面が良かっただけみたいだわ。嫌な奴」
「……そうね、私も、あんまり好きじゃない」
 ユニカが先に鏡台の前へ座るなり、耳許でレオノーレが囁やいてくる。公爵へのそんな評価を初めて聞いたので、ユニカもつい本音で応えてしまった。レオノーレは肩をすくめて笑い、ユニカの同意を喜んだようだ。
「やっぱり。ツェン伯母さまの兄君だって聞いてたからちょっと贔屓目に見てあげていたのに……でも、本心はどうあれ、彼の前では従順な振りをしておいた方がいいわよ。なんと言っても陛下のお気に入りで、エルツェ家の当主だもの。機嫌を取っておいて損はないわ」
 軽い調子だが、レオノーレの言葉は明らかに貴族としての助言だ。ユニカはわずかに頬を強ばらせる。もしかして、エルツェ公爵に迎えられたとき嫌な顔をしたのを見られたのだろうか。だとしたら、レオノーレが言うことはもっともだった。周りに気づかれているのはまずい。
「わかったわ」
 頷き返せば、レオノーレは不適な微笑みを残し、今ほど「嫌な奴」と言っていたエルツェ公爵の許へ行って愛想良く世間話を始めた。「本心はどうあれ」……とは、ああいうことだ。難しそうだが、貴族と付き合うには必要な技だとこの頃ユニカは痛感していた。
(参考に、出来れば良いけど……)
 鏡に向かって口角を上げてみたが、全然自然な笑みではなかった。おまけに寝不足で顔色も悪い。顔色こそはディディエンが巧く化粧をしてくれたからよいものの、面白くもないのに笑うのはやっぱり不得手だ。貴婦人たちとのお付き合いで「だいぶましになっている」と公爵夫人に言われてはいるが。
 笑えようが笑えなかろうが、青金のティアラに準じる髪留めを着けられてしまえば、ユニカが王族の職務から逃げることはもう出来ない。これもこの頃身に染みて分かってきたし、諦めもついてきたことだった。
 支度を終え、レオノーレ、エルツェ公爵とともにユニカが控えの間を出ると、すぐに彼らはディルクと鉢合わせた。
 一行に気づいた王太子はすかさずユニカへと微笑みかける。近頃の日差しのように優しげな視線にぎくりとし、ユニカは瞬時に顔を背けた。
 元日以来、ユニカはこうしてディルクのことを避け続けていた。けれど相手はしぶとく、顔を合わせれば必ず微笑みかけてくるし、その機会が多いのも悩ましい。二人きりになればまた抱きすくめられて、放さないなどと脅されるのではないか。そんな警戒心がユニカの中からずっと消えない。
 ユニカの心情を知ってか知らずか、いや、きっと勘付いているから、ユニカとの接触を図るべくディルクはそう言ったのだろう。彼は公爵に向き直ると、慇懃に頭を垂れた。

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