天槍のユニカ



傷口と鏡の裏(13)

 眉を顰めたユニカをよそに、伯爵夫人とレオノーレは賑やかにお喋りを始めた。脚本を書いたのが誰だとか、原作の小説があるのだとか、主演の俳優がものすごい美男子なのだとか。
 そんな二人に混じれず、ユニカがもやもやした不安を抱えたまま、一行の馬車はある小さな歌劇場に到着した。



 一行が入ったのは、アマリアにある中では一番小規模な歌劇場だった。観客は立ち見で百人入れるかというくらい。
 ユニカたちが案内されたのは、二階の椅子が並べてある席だ。舞台の右手の上。低い手すりが備えてあるだけで、ちょっと怖い。
 舞台から見て左手にも同じような二階席があり、ユニカたちが座った席と合わせて、ざっと二十人は貴族らしき観客がいる。皆ヴェールや目深に被った帽子で顔は見えなかった。
 静かに高まっていく興奮がひしひしと感じられ、その異様な空気にユニカは萎縮する。
 やがて小さな舞台の上に役者たちが現れ芝居が始まると、なおのこと居心地が悪くなった。
 なるほどこれは昼間に上演などしようものなら、風紀を乱すの一言で一座ごと捕らえられてしまうような内容だ。
 歌劇は、他家へ嫁いだ貴族の姫君が夫に触れられることを拒み、幼い頃から思いを交わしてきた幼なじみと逢瀬を重ねている……という話。
 不義密通は、国教で祀る天の主神が汚行として戒めている。神に祈ることこそほとんどないものの、その教えを身近なところに置いて育ったユニカにとっては気分が良いものではない。
「どれどれ、どこまで脱いでるのかしら」
 今も舞台の上では、胸元の危なっかしいところまで衣装を肌蹴させた女優の身体を、密通相手を演じる俳優が抱き抱えている。濡れ場というやつだ。
 あまりの居たたまれなさにうつむくユニカの隣で、レオノーレがどこからか双眼鏡を取り出し、絡み合う二人の様子を確認し始めた。
「まあ公女さま、良いものをお持ちですこと」
「ふふ、貸してあげるわ、伯爵夫人。うーん、主演の俳優より、旦那役の方が好みね。ユニカ様もご覧になる?」
 見るわけがない。ユニカは蒼白になって首を振った。すると双眼鏡は、無事クレマー伯爵夫人の手に渡る。彼女がヴェールを少しだけ持ち上げ、嬉々としてレンズを覗き込む様子を、ユニカは信じられない気持ちで見ていた。
「もしかして、あまり楽しんでいらっしゃらない?」
 レオノーレは扇子を広げ、舞台の展開に夢中な伯爵夫人には聞こえないよう、声のトーンを落として囁きかけてきた。それにしても今更な問いである。ユニカは初めから「行きたい」なんて言っていない。

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