天槍のユニカ



傷口と鏡の裏(7)

「いや、だって、姫さまが早くディルクのところへ行ってやってくれって言うから……」
 叱責されても悪びれた様子などないルウェルを囲み、三人は深々と嘆息した。
 公妃の頼みであったにしろ、ルウェルは大公家に仕えていた騎士だ。彼が組み込まれた指揮系統というものがある。
 それが「ディルクの後を追っかける」と宣言した翌日には突然姿を消したのだから、それなりの混乱が生じた。ルウェルはそれを考えもしていない。
「まあ、いい。お前の任務が公妃さまの身辺警護であったから、大した穴は空かずに済んだ。シヴィロの近衛に属したからには、今後はそういうことのないようにせよ」
「大丈夫、大丈夫。俺の仕事なんてディルクと隊長さんのパシリみたいなもんだからさ。結構自由なんだぜ。あ。それ、隊長さんから。明日までに全部読んで、だって」
 書簡を抱え、ディルクは溜息交じりに分かったよと呟いた。
 ルウェルの態度に、ヴィルヘルムは大変不満げな顔をしていたが、彼の後ろに控えている青年騎士は更に怖い顔をしている。
「ところで、ヴィルはレオと一緒にシヴィロに残るんだろ? クリスは?」
 そして、ルウェルはあっさりと触れてはいけないところに触れた。その場の空気は一気に凍りつく。
 名指しされたにも関わらず、青年騎士は何も答えなかった。いっそう眉間の皺を深くするだけだ。
「クリスティアンは、帰国組だ」
 当人とディルクの代わりに、ヴィルヘルムが答える。ふーん、と相槌を打つルウェル。
「なんで?」
 そして彼が間の抜けた疑問を口にした直後、凍てついた空気は沈黙とともに鉛のような重さへと変わる。
 亜麻色の髪の青年は、ルウェルの言葉はそのまま自分の疑問であると言わんばかりにディルクを見つめてきた。
 彼の左目の上には、折れた剣の破片につけられたという傷ができていた。ディルクに負けず劣らず異性の目を惹く甘い容姿をしているはずなのに、その傷痕のせいもあって、彼が眉間に皺を寄せるとたいそう迫力があった。
「……大公の直臣が、王家に仕えられるはずがないだろう」
 ディルクが唱えたのは、ルウェルへの答えであり、青年への答え。青年の表情を見る限り、まるで納得されていないが。王太子の身分でも干渉できない領域にこの問題はあり、ディルクにはそうとしか言えないのだ。
「あー、なるほど。じゃあほら、いとまごい? っていうの、すりゃあいいじゃん」
「馬鹿者。侯爵家の当主の座は、お前が思っているより遙かに重いのだ。クリスティアンには守るべき一族や領地がある。お前のように身一つでどこへでも飛び出していくことは出来んのだ」
「いやぁ、でもさー……」
 軽い調子で更に言いつのろうとしたルウェルだが、公女の騎士団長はそれを赦さなかった。彼はまるで戦場で敵と対面したときのような怒気を放つ。
 ヴィルヘルムもまた、爵位を持つ大公家の家臣だ。属する家も領地もなく、ただ公妃とディルク母子の傍をうろうろしているだけのルウェルには理解できないものを背負っていた。彼の立場は、ルウェルよりずっと青年騎士に近い。

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