天槍のユニカ



傷口と鏡の裏(8)

 そんな男の怒りに触れては、さしものルウェルも大人しくなるしかなかった。
「それでは、今日のところは失礼いたしますぞ。また改めて、姫君警護の任に着く者どもを連れて参りましょう」
 赤毛の騎士が口を噤むと、ヴィルヘルムは嘘のように眉間の皺を消し去る。そして重ねて慇懃な挨拶を残し、彼らは出て行った。
 ほっとしたような、もの寂しいような。
 ディルクは彼らを見送ると、面白くなさそうな顔をしてどっかとソファに座り込むルウェルを横目に、机へ戻った。
(レオのところにいるとは聞いていたが……)
 再会の形は最悪だった気がする。ヴィルヘルム同様、彼もずっとディルクのことを案じてくれていただろうに。
 このまま彼が公国へ帰れば、まともに口をきける機会はもうないかも知れない。
 ルウェルとは生まれたその日からの付き合いだったが、あの青年と出会ったのも生後十日ほど経った頃のはずだ。勿論覚えていないが。
 詰まるところ、ルウェルと彼はディルクにとっての兄なのだ。一生離れることのない縁だと思っていたが、案外あっけなく切れるものなのだな。
 彼は大公の臣下。ディルクはやがて王家を継ぐ。ルウェルにその気があれば身一つでどこまでもついてきてくれるだろうが、他に主を持った彼はそうもいくまい。
 やがて王国へ輿入れしてくるであろうレオノーレに、彼はついてこないだろう。恐らくレオノーレの許を離され、大公の継嗣であるエイルリヒに仕えることになるはずだ。
 大公は、テナ侯爵家を引き続き重用する。それならいい。
 いいのだが。
「殿下、そろそろ昼食会のお時間です」
 近衛隊長ラヒアックからの書簡を広げようとしていたディルクに、いつの間にやら戻ってきたカミルが遠慮がちな声をかけた。主の表情が、どことなく沈んでいたせいだ。
「そうか、そんな時間か」
 正午から、王が主催する食事会の予定があった。集まるのは頭痛を引き起こしそうな面々である。
 王家の三人――もちろんユニカを含む――に、王の腹心・アーベライン伯爵、新外相のベッセル伯爵、ユニカの付き添いとしてエルツェ公爵。公国側からは、公女レオノーレと使節副使のドナート伯爵、あと二名の外交官。少人数だが公的な昼食会だ。
 レオノーレとアーベライン伯爵をいきなり対面させなくてはいけない上に、ユニカも出席する。何か起こりそうな気がしてならない。そしてどう考えても、何か起こったときに仲裁役をこなせる出席者は自分しかいなかった。
 面倒だなあ。いっそ大量の仕事が舞い込んできてくれればとさえ思う。
 しかしエルツェ公爵がうまくユニカをフォローしてくれるとは考えられないので傍にいてやりたいし、無礼な振る舞いをしたレオノーレを叱り付けられるのは、城内を隈無く探しても『兄』であるディルクしかいまい。

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