天槍のユニカ



傷口と鏡の裏(4)

 そんな二人の運動に応えなかったのは、他ならぬディルクだ。
 心変わり――再び表へ出る気になったのは何故かというヴィルヘルムの疑問は、もっともだろう。
「お前にも王国に残って貰うことになるんだったな。助かるよ、レオノーレを野放しにしないで済む」
 訊かないでくれるのなら、その話題は終いだ。
「いや、私にも姫さまを御しきれる自信はありませんぞ。現に、もう二つの見合いを事前に断っておいでで……」
 ディルクが話を逸らすと、ヴィルヘルムもそれに応じてくれた。彼らの間に残っていたわずかな緊張がほっと解ける。
 代わりにあたりを漂うのは、奔放な姫君に振り回されてきた男たちの哀愁だった。
「あれを『事前に』だと思ってくれる男は、相当懐が深いぞ……」
 つい三日前にもたらされた情報を思い出し、ディルクは深い溜息を吐く。
 どうやら妹は、シヴィロ貴族の中から夫を選ぶべく参賀の使節団とともに王国へ入ったらしい。
 ウゼロ公国のベルネット副外相が急な怪我をして動けなくなったため、公女であるレオノーレが使節代表を務めることになった、という経緯は聞いていたが、どうも唐突な人選だなとディルクは思っていた。
 恐らく、レオノーレが使節団に紛れ込むことはずいぶん前から決まっていたのだろう。目的は先に述べたとおりである。
 腹立たしいのは、エイルリヒがこの動きを掴めていなかったことだった。大公のエスピオナを一部掌握しておきながら、姉の動向を知らなかったとは聞いて呆れる。
 レオノーレの来訪は、使節の代表として最高に目立つ形になっただけで、彼女が婚姻相手を内定するためにいくつも見合いの予定を設定してあるということは公にされていなかった。
 彼女が順調に予定をこなしていれば、ディルクも知らずに終わったことだろう。
 しかし。
 三日前、些か不快感を滲ませた王に呼び出されたことで、ディルクもこの件に関与する羽目になった。
 王、曰く。
 公女殿は見合いの当日になって、相手と顔を合わせてもいないのに縁談を断っているそうだが、そなたは公女殿の意向を何か聞いているか、と。
 妹の意向も何も、彼女が見合いをする予定だったことすら知らなかったディルクは、間抜けな顔で首を傾げることしか出来なかった。
 何よりまずいのは、直前になって無礼な断り方をした見合いの相手が王の近臣、つまりは有力貴族の縁者であることだ。
 小議会に議席を持つクライネルト公爵の長子に、同じく小議会の議長を務めるアーベライン伯爵の甥。どちらも王家と血を交えたことがある由緒正しい家系の子弟であり、大公家の姫君を妻に迎えるにあたっても遜色無い身分を持つ。

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