傷口と鏡の裏(3)
「面と向かってお話出来たのは、もう二年ぶりになりますか」
顔馴染みたちをソファに誘うが、席に着いてくれたのはヴィルヘルムだけだった。もう一人の若い騎士は冷淡な表情のまま上官の後ろに佇んでいる。心なしか、ディルクから故意に視線を逸らしているように思えた。
「そんなになるかな」
腰を落ち着けて、一番にヴィルヘルムは言った。答えるディルクは苦笑混じりである。
公国にいた間は、様々な行事の折りに互いの姿を見る機会はあった。しかし形式に則った挨拶こそすれ、確かに『話』をしたのは久しぶりだ。
懐かしい気持ちになると同時に、少々気まずくもある。それほど長い間大した遣り取りが無かったにも関わらず、唐突に彼を呼びつけ協力を仰ごうとしていることが。
けれどそれは杞憂に終わった。ヴィルヘルムはひとたび剣をとれば魔神のように敵を殺戮する歴戦の騎士だが、普段はどちらかというとおっとりしていて気さくな人柄だ。それは二年の月日が経ったくらいでは変わっていなかった。
「あまり触れぬ方がよろしいですかな。お心変わりの理由など訊いてみたいものですが」
子供を見守るような鷹揚さと、わざとディルクを困らせてみようという悪戯心が混じった眼差しで、ヴィルヘルムは口の端を吊り上げる。
「理由? 陛下に呼ばれたら拒めるはずがない。仕方なくだよ、仕方なく」
「さようでございますか。いやはや、老婆心からつい口を出してしまいます。ディルク様にはディルク様のお考えがおありなのでしょうに」
ディルクは答えをはぐらかしたが、騎士に気を悪くした様子はない。納得もしていないだろうが、これ以上は訊かずに済ませてくれるらしい。
ヴィルヘルムは、ディルクのことをを幼い頃から知る人物の一人だった。ディルクの乳父、テナ侯爵の友人であり、バルタス鉱山の戦役でともに戦った仲でもある。
その戦の折から彼は妹のレオノーレに仕える騎士の長で、バルタス方面軍の総指揮官を務めたディルクの配下につき、妹とともに素晴らしい働きを見せてくれた。
ぎりぎりの選択を連続して迫られる緊張に、気が狂いそうだった数日間。そして血みどろの戦ではあったが、その日々を思い出すとき、ディルクの心は間違いなく昂揚した。
あのときほど他者と己に一体感を感じたことは無い。生死をともにすると言うのは易いが、その実感を持つ者同士の間に芽生える絆は体験せねば分かるまい。
ともに生き抜いたという喜びは、相手の顔を見ればこの瞬間でも感じられる。
傍らで永遠に失われてしまった命のこともまた、未だに忘れ得ない。
ディルクが初めてまとめ上げたあの戦は、トルイユ最大の貴族連合から大きく力を殺ぎ取り、戦後の処理においては公国の国境を南下させるという大勝利に終わった。
しかしディルクにとっては多くの仲間を喪い、乳父を亡くした戦でもある。
講和がまとまった直後、大公に軍籍から退くように命じられたとき、それに抗おうという気力が彼には残っていなかった。
ディルクからすべての地位と権限を取り上げる大公の決定に、戦死した乳父や、ディルク当人に代わって抗議してくれていたヴィルヘルムの様子はよく覚えている。レオノーレも一緒だった。
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