天槍のユニカ



閉じる嘘の空(3)

 産毛がちりちりと逆立つような感覚が背中を駆け上がってくる。か細い稲光も脳裏にちらついた。その光はいくらでも増幅していきそうだ。
 そんなユニカの敵意を感じ取ったのか、王がちらりとこちらを見てきた。淡い緑色の瞳には命を狙われているという危機感など一つも無い。
「この者が王家に名を連ねること、承諾したのは余であるぞ。殺すつもりならとうに殺している。存在を公に認めようなどとは思わぬ」
 そして、彼は静かに断言した。ユニカから目を背けたまま。呆気にとられるほど彼に心変わりの気配は無く、その様子を見たユニカも思い出した。そうだ、この淡々とした、互いに特別な感情を抱かない距離感が二人に最も適している。感情的に疑ってはいけない。
ユニカも王から視線を逸らす。
「そうでしょう。失礼をいたしました。では、この“爪”はエスピオナ独自の意思でヴィクセルの手に渡されたということになります。陛下の御意に反し、ユニカを殺害しようという目的で。そこで次に確認したいのは、この“爪”の持ち主を特定できるかということ」
 王の傍らで佇んでいた侍従長は、小首を傾げながら力なく王太子に笑い返した。
「持ち主を見つけ、殿下はどうなさるおつもりなのですか?」
「無論、罰する。飼い犬が主人の客人に噛みついたのだ。制裁を与えるのは当然のことだろう」
「しかしながら、城内においてエスピオナは多くがその正体を隠しております。互いにエスピオナであることを知らずに勤めを果たしている者が多いでしょう。勿論私はすべてを把握しておりますが、“爪”を提出させ調べるには少々時間を要します。更に憂慮して頂きたいのは、その調査の途中で彼らが互いの存在に気づき、或いは王城に入り込んだ他家のエスピオナが、王家のエスピオナを特定してしまうことです。正体を隠してこその情報網。その網を握られてしまっては、我々の組織そのものが瓦解する恐れがあります。そもそも、チーゼル卿に協力していた者が私の部下の中にいると? 殿下は、エスピオナが如何に主人に忠実か、ご存じありませんか?」
「協力ではなく、あくまで利用だと私は思う。チーゼルはユニカを公の場で裁きにかけ、臣下たちの意志を以て処刑しようとしていた。牢獄の中で殺そうとするとは考えにくい。処刑という時間のかかる方法ではなく、なるべく早く、確実に殺したかった。そんな意思を感じる。エスピオナならチーゼルの計画も察知できただろうし、それに荷担するヴィクセルが、特に強くユニカに憎しみを抱いていることも知り得たはずだ。だから彼に“爪”を渡した。自分たちが用いる強力な毒なら、ユニカの息の根を止められると思ったんだろう。そしてチーゼル同様、その動機は王家への忠誠ゆえだ」
 責めるようなディルクの口調に、ツェーザルは苦笑いを浮かべた。大袈裟に溜息をつき、助けを求めるように王の横顔をちらりと見やる。
 エスピオナならチーゼル卿の計画を察知できた、ヴィクセルの事情も知り得た――本当にそうだろうか。ユニカはテーブルの中央に戻されたナイフを見つめたまま、気づかれないよう口の中に溜まった唾を呑み込んだ。
 そんなことを察知できるのは、知り得るのは、末端の一人のエスピオナではないはずだ。彼らの持ち寄る情報を総括し、ある程度広く城内の事情を把握できる立場のエスピオナならば、チーゼル卿とヴィクセル、彼らが与え、与えられた役割を繋げることが出来るかも知れないけれど。

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