天槍のユニカ



蝶の羽ばたき(10)

 これはちょうど良い。
「ユニカ様はお怪我などなさっていらっしゃいませんか?」
 然も心を痛めていると言うように、ティアナは眦を下げてフラレイに問うた。
「はい、お怪我一つ無くご無事です。今はお着替えをなさっているところで……」
 審問会で何かあったことは分かるらしいが、何があったのかについてまったく情報を与えられていないフラレイは、心なしかきらりと瞳を光らせた。ティアナから何か聞き出したい様子だ。
「それはようございました。王太子殿下がご心配なさっています。大変恐ろしい思いをなさっただろうと……こちらを、ユニカ様に」
 先程摘んできたばかりの瑞々しい薔薇をフラレイに持たせると、彼女はおやっと目を瞠った。花一輪のメッセージに気がついたようだ。
「それから、こちらはわたくしより……。ユニカ様に渡して頂ければ、お分かりになると思います。ただ一言だけ、わたくし個人の宝物なので差し上げることは出来ませんが、どうぞ御覧になって下さいとお伝え願えますか?」
「あっ、はい」
 ティアナはもう一つ、古いが本のように装丁がしっかりしたノートもフラレイに渡した。彼女は興味津々に目を丸くして輝かせながら、それをエリュゼのもとへと運んでいく。全員の視線がフラレイに向かっているのを素早く確認し、ティアナは胸についていたブローチを外して絨毯の上に落とした。気づかれないよう、さりげなく移動してドレスの裾でそれを隠す。
「王太子殿下のご様子はどうかね」
 突然エルツェ公爵が声を掛けてきたので、一瞬ブローチを外したことに気づかれたのかと思ったが、そうではないらしい。普段通り大様に構えた彼は、テーブルに頬杖をついてティアナを睥睨していた。
「先程お手当を終えました。今のところはお命に関わるお怪我ではございません。医官にお薬を処方されて、お休みになりました」
「ふうん、まぁ、そうだろうね。ご自分の足でしっかり歩いていらしたし。それにしたって勇ましいお方だよ、まったく」
 王太子が、自ら矢を抜いて見せたことを言っているのだろう。何も知らないフラレイが、見るからに耳をそばだてているのが可笑しいが、ティアナは笑いそうになったのを慌てて事務的な微笑みに変換し、優雅に頭を垂れてユニカの部屋をあとにする。
 廊下を歩き始めて程なく、ティアナが落としたブローチを持ってフラレイが追いかけてきた。
「ティアナさん、落としましたわ!」
「まあ」
 フラレイが差し出してきたブローチを見て、ティアナは大仰に驚いて見せた。有翼獅子紋の盾に剣とスミレの花が交差する意匠は、王太子のディルクを表す紋章で、王城の中ではティアナの所属を示す大切な身分証のようなものである。落としていったことに気がつけば、誰かが――あの場で一番使い走りに相応しいフラレイが直ちに追いかけて届けてくれるのは当然だ。

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