天槍のユニカ



蝶の羽ばたき(9)

「ルウェル」
「うん?」
「お前、そこで番をしてろ。俺が妙なことを口走っていたら起こせ」
「了解」
 気心の知れた幼馴染みの騎士は、まったく緊張感のない声色で返事をした。それに安心してディルクは目を瞑る。するとルウェルが立ち上がる気配。彼はディルクの頭に手が届く所に座り直す。何をする気かと思ったら、わしわしと乱暴な手つきで髪を撫でてきた。
「やめろ」
「悪い悪い」
 首をもたげるだけで矢傷が痛むというのに、わざわざディルクが渋面で睨み付けても、ルウェルは悪びれ無く笑っただけだった。



 ティアナは血のついた主の衣服を始末し、父が置いていった医薬品と縫合の道具を片付けて内郭の医務室に届けると、その足で一旦外郭へ出た。侍官宿舎の自分の部屋へ戻ったのだ。
 机の引き出しに大切にしまってあった古いノートを、雪に濡れないよう胸に抱え、外郭の温室にも寄っていく。こちらは王族専用である内郭の温室とは違い、解放された庭園と同じ扱いである。
 庭師に頼んで白い薔薇を一輪貰うと、ティアナは自分で編みストックしてあったレースのリボンを、薔薇に結びつけた。大変な事件の直後である、大袈裟な贈り物をするものでもないが、手ぶらでもいけない。王太子のお見舞いの気持ちを伝えねばならないのだ。控えめに花を一輪渡せば、「心を安らかにして下さい」というメッセージになる。これで、身を挺してユニカを守った王太子が、傷を押して彼女の身を案じていることもよく伝わるだろう。
 ユニカの一行も、東の宮へ戻ってきているようだった。エルツェ公爵が、私兵を無断で内郭に入れたとかそのまま宮へ入ってきたとか、近衛兵が騒いでいたのをティアナは聞いていた。恐らく、エルツェ公爵が私兵を内郭へ引き入れたのは、ユニカを警護するためだ。
 騒ぎは既に収まっていて、王太子が彼女に貸し与えている部屋へ行ってみると、やはりユニカは戻っていた。公爵、プラネルト女伯爵、審問会に出席していた伝師とその従者までもが何食わぬ顔で部屋におり、ティアナは内心眉を顰める。
 ここは王族の住まいであって、臣下が勝手に出入りして良い場所では無い。侍官や警備の兵士はともかく、その他の人間は、王太子の許可無しに立ち入ってはいけないのだ。勿論、許可を出すはずの王太子はあの状態で、今頃薬が効いてぐっすり寝込んでいるだろう。
 当のユニカは着替えているところなのか、姿が見えない。
「王太子殿下から、ユニカ様にお言伝が」
「承りましょう」
 返事をしたのはエリュゼだった。ついこの間まで同じ地位の“侍女”だった彼女だが、今日日、国王の直臣だ。そんな彼女が自らティアナの言葉を聴くなど、侍女の感覚が抜けていないのかと思ったが、エリュゼはぼんやりと立ち尽くしていたフラレイを呼びつけた。

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