天槍のユニカ



無価値な涙の跡(17)

「エリカは、どうしてここに……」
 エリカは以前、元近衛隊長である父の名を濫用し、無理矢理ローデリヒに会いに来て叱られたことがあった。夫の怪訝そうな言葉を聞き、彼女はその時のことを思い出した。
「こっそり会いに来たわけではないのよ。王太子殿下がわたしをフィドルの指南役にとおおせらしくて……しばらく王城に滞在するようにと言われているの。ヴィーラもまだ小さいから一緒に滞在してよいとおっしゃってくださって」
 同じ城内にいれば今日のように夫と会えることもあるかも知れない。エリカはそう期待してしまい、そのみずみずしい頬に嬉しさが滲み出るのを止められなかったが、それを聞いたローデリヒは苦しげに顔を歪めた。
 それを妻に見つけられる前に、彼は赤子ごとエリカを抱きしめる。
「ロー?」
 夫を抱きしめ返してあげたいが、エリカの腕の中には小さな息子がいる。幸せなことだと思いながら、彼女はただローデリヒの肩に額を押しつけて目をつむった。


* * *


 午になると天候は荒れた。今朝送り出した使者が足止めをくらっていないか気になるところだが、さすがに吹雪を止ませる力は誰にもない。必要とあらば審問の日程を延ばしていくしかない。
 ドンジョンにある王の執務室にて、ディルクは人払いをさせ王と向き合っていた。
「明日の審問会の開始を午後へ延ばしていただくことは出来ませんか。午前の内に相手の駒は奪えるだけ奪っておこうと思うのですが」
「審問会は朝議の延長で開催されることになっている。午後へ延ばすとなると、朝議自体を遅らせねばなるまいな」
 王はディルクの提案にあまり乗り気ではなさそうだ。審問会を遅らせることには賛成だが、そのほかの日々の政務について確認と調整を行う会議は、いつも通りにやっておきたいからだろう。
「途中で陛下に体調を崩していただくというのはどうでしょう。頭痛でも腹痛でも目眩でもよいので、何か不調を起こしてくださいませんか」
 何となく不安そうに、王はお茶を啜った。

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