天槍のユニカ



剣の策動(10)

 ティアナはこっそりとユニカの袖を引き、その場を立ち去ることを合図してきた。ユニカは彼女の同僚の振りで一緒に頭を垂れてからディルクに背を向ける。
 この場で唯一の知人といえるディルクと離れるのは心細い気もしたが、ちらりと彼の顔を覗えば、大丈夫という言葉の代わりにぱちりと片目だけで瞬く。ウインクされたとユニカが理解できたのは、完全に踵を返してからだった。
「殿下、私の声はお耳に届きませんでしたかな?」
 ラヒアックはさらに語調を強めてディルクに詰め寄った。
 自分から逃げるように立ち去る侍女に、彼は見覚えがあった。片方はクヴェン王子の侍女も務めていたイシュテン伯爵家の娘、そしてもう片方は――、
「聞こえているよ。ラヒアック、ルウェルに会ったか?」
「ギムガルテですか。いいえ、殿下の執務室の扉を塞ぐ姿を見て以来、会っておりませんが」
「そうか。私の方が早かったか」
 執務室から遁走したことについてディルクには少しも説明する気がない。そうとらえたラヒアックはますます眉間にしわを寄せた。しかも、『天槍の娘』を連れてドンジョンの中を歩くなど、彼にはとうてい見逃せないことだった。
「殿下は、あの娘が何者かご存じですかな?」
「ティアナとエミか? 私の侍女だが」
「わたしはあの娘の顔を存じておりますぞ。惚けるだけ無駄でございます」
 ち、と小さく舌打ちする音。ラヒアックは思いもかけず粗野なディルクの仕草に驚いたが、これはいよいよ諫めなくてはならないと思った。
「あの娘は、王家の姫君でもなければ臣下の娘でもありません。それどころか、数多の臣民を焼き殺した罪人なのですぞ。殿下のお相手には、相応しくない者なのです」
「彼女が村を一つ焼き滅ぼしたという話は有名だな。だが、卿は実際に見たわけではないだろう。それに彼女はエイルリヒを救ってくれた。謝意を示し、相応しくもてなすのは当然ではないか?」
「そのもてなしが、あの娘をドンジョンに招き入れることだとおっしゃるのですか。お役目を捨て置いてまで」
 言い返したラヒアックの声は自然と苦々しく響いた。エイルリヒの毒殺未遂を、未遂で終わらせることが出来たのは彼女の血≠フ提供があってこそ、というのはわきまえているのだ。
 そんな近衛隊長にさらに反論することは出来たが、ディルクも就任したばかりの総帥職をほっぽり出してきたのは事実なので、ここで痛み分けとすることにした。

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