棘とお菓子(6)
冷たい水がどこからか染みこんでくるような気分を振り払い、ディディエンの両肩に手を置いて言う。姉がこんなに真摯に頼んでいるというのに、ディディエンは少し浮ついていた。おめかししてお出かけするのが楽しみだという顔で頷かれても、ちっとも安心できない。
いっそ、妹が急病になったことにして自分が行ってやろうかと思う。伯爵として扱われたいなどとは微塵も思わない、いち侍女として会場の一角やユニカの後ろに控えているのでぜんぜんいい。
しかし、コルネリアに会って顔を知られているからにはそれを実行するのも不可能だ。
「クリスティアン殿も、どうかよろしくお願いいたしますね」
会場へ入れない彼に頼んでもどうしようもないのだが、エリュゼはそう言わずにはいられなかった。クリスティアンからは苦笑が返ってくる。
「公女殿下がいらっしゃるので、ちょっとしたいざこざならばはね除けてくださるとは思いますが……」
クリスティアンもかすかに心配しているのだと思う。レオノーレがちょっとしたいざこざ≠皮切りに会場を戦乱の巷に変えるのではないかと。
ちなみに、先ほどレオノーレにそれとなく「問題が起きても穏便に」とお願いしに行ったところ、返ってきた答えは「だぁいじょうぶよ!」だった。すこぶる心配だ。
それでも、今日のエリュゼはユニカを見送るしかないのだ。
「このところ、伯爵はお元気がありませんね」
鞍上へあがった途端、フィンが馬首を並べてそんなことを言ってきた。
ユニカとレオノーレ、彼女らの侍女二名が同乗した馬車を振り返ると、その向こうには一行を見送るエリュゼの姿がある。
じっとこちらを見ている彼女は、見送るというより「置いていかれる」という様子だ。
「お慕いしている人の頭の中に自分がいないような気がすると、誰でも寂しいものだ」
クリスティアンがぼやくように言うと、フィンは何か思い当たることがあったらしく「ああ」と一人で納得していた。
この十日あまり、ユニカはドレス作りのために毎日通ってくる仕立屋と本当に楽しそうに、そして親しげに話していた。昔を知る相手なら気も緩むだろうし、お互いに疫病という大禍を生き延びての再会なら特別に嬉しいのも分かる。
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