天槍のユニカ



幕間―3―(4)

「まぁ……それは、申し訳ございません」
 エリュゼはディルクが宮へ戻ってきて今日も昼間からユニカにくっついていることを知った。エリュゼをはじめとした一部の人間の前では、王太子は憚ることなくユニカに溺れた様子である。
 大切な用件でヘルツォーク女子爵がわざわざ尋ねて来た日にまで……と思わずにはいられない。
「伯爵が謝ることではないでしょう」
「そうでした……ですが、わたくしも安心いたしました。ヘルツォーク女子爵がユニカ様の侍医をお引き受けくださって」
 妹に衣装部屋の整理へまわるよう言いつけ、エリュゼはナタリエを宮の玄関口へと案内する。ディルクの謝意が足りなさそうなので、自分の分で補っておこうと思いながら。
 それに対してナタリエは吐息だけで笑った。
「わたくしが引き受けるか否かで、宮廷の様子はずいぶん血なまぐさくなったことでしょうね。わたくしもそれを望んでいないから引き受けたというだけのこと。それに、王家からのご下命とあらば臣下として従うのは当然です」
「はい。わたくしもそれは承知しておりますが、それでも……」
 西の宮とは違い、王太子の住まいの廊下には等間隔で近衛兵が槍を構えて立っている。彼らの前を通り過ぎる時、エリュゼはつい口をつぐんだ。
 王族の妃や愛妾に侍医がつけられるのは、ともに暮らす王族の身体を病から守るためという面もあるが、第一の目的はその懐妊をいち早く察知するためだった。
 そして、その報せを一番に受け取るのは王だろう。
 彼が、王太子妃ではないユニカが子を産むことを許さなかった場合、息のかかった医官に密かに子を堕ろさせることも出来る。エリュゼは主君がそれほど冷酷な人間だとは思っていないが、国のために必要なことをする方だというのは知っていた。そして恐らく、ディルクも継父の性格をとっくに見抜いているはずだった。
 ディルクが「男の医官は嫌だ」と言ったのは、侍医に指名する相手をヘルツォーク女子爵ナタリエに絞るためだったのではないかと、エリュゼは考えていた。そっと嫌な予感≠払拭するためだ。
「やれやれ、どうやら陛下は日頃のしかめ面が災いして、すっかり若い者からの信用を失っているようだ」
 ナタリエが笑いながら言うので、エリュゼはつい思い詰めた顔になっていたことに気が付いた。爵位は下でも王の直臣としては大先輩にあたるナタリエの表情を見るに、エリュゼが、あるいは王太子がわずかに抱いてしまった懸念を知っているらしい。
「そのようなことはありません……! 陛下は尊敬にも信頼にも値する方だと思っております」
「しかし、実際に殿下や伯爵を不安がらせていらっしゃる。あの方は昔から言葉が足りないのです」
 ナタリエの率直な評価は、四十年近くにわたる王との交流が言わしめたものだった。真似も同意も出来ないエリュゼは気まずく眉を顰めた。
「わたくしは人の命を健やかたらしめるために医官になりました。それに反することは、たとえ相手が生まれる前の命だろうと絶対にしない。しかし王家には生まれてはならない命があることも確かです。もしそう≠ネった時には、責任を負うのは我々ですよ、伯爵」

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