carezzare


 閑静な住宅街の少し外れにある小綺麗なスーパーで買い物をした帰りの事だ。
 夢主の頬にぽつりと空から滴が落ちてきた。買い物袋を抱えた夢主が見上げると、空はどんよりとした雲に覆われ今にも雨が降ってきそうだ。いや、実際に降ってきた。しかも結構な勢いで……
「わっ……!」
 通りにいた人は皆、通り雨から逃げようと駆けだしている。夢主も慌てて走り出し、角をいくつか曲がった先にある木々に囲まれた館を目指した。
 欧州最大のゲームの祭典がこの連休中にあるからと、自他共に認めるゲーマーのテレンスは真面目な顔で休暇を願い出た。彼の主人はそれに快く許可を出してしまったので代わりに夢主が屋敷の雑務を行う事になった。ある程度の食材が用意されているので本来なら出かけなくてもいいのだが……そのスーパーには珍しいドルチェがあると聞いてはとても無視など出来なかったのだ。
「すごい雨……!」
 ビニール袋をガサガサと揺らしながら夢主は門をくぐり、庭を抜けて大きな玄関ポーチに走り込む。まるで泳いだ後の犬のように頭を左右にぷるぷると振って水気を飛ばした。雨足が強くなるのを尻目に急いで玄関ドアをくぐり抜ける。ぽたぽたと服から水滴が落ちて、染み一つ無かった絨毯を思いがけず汚してしまう事になった。
「タオル、タオル……!」
 しかしそれがどこにあるか夢主には分からない。ずぶ濡れのまま廊下を右往左往していると、暗がりからぬっと腕が出てきて夢主の頭に白いタオルを被せた。
「わっ……!」
「だから言っただろう? あれほど行くのは止せと……ずぶ濡れではないか」
 DIOは呆れた口調で夢主の濡れた髪をごしごしと拭いてくる。
「あ、ありがとう、DIO……」
「礼などいらん。この場合、欲しいのは謝罪だ。私を一人置いて外に出かけたのだからな」
 拗ねた表情でDIOは夢主の鼻をつまんでくる。執事のいない二人っきりの世界をわずかとはいえ崩されたのが面白くなかったらしい。
「待たせてごめんね。でも……」
 言い訳しようとする夢主の口をDIOは自分ので塞いでやった。聞きたいのはそんなものではない。もっと他の言葉だ。
「もう用は済んだのだろう?」
 DIOは夢主の手から袋を取り上げ、キッチンの扉を開けると無造作に投げ放つ。それはテレンスによってピカピカに磨き上げられたシンクの上にドサリと落ちた。卵などの割れ物を買わなくて本当に良かったと夢主は心の中で思う。
「来い。私をもっと構え」
 ぐいっと夢主の身を引き寄せ、DIOは雨音が激しく響くリビングへ足を踏み入れた。
 夢主が買い物に行ってしまったので暇を持て余したDIOは読書でもしていたのだろう。ソファーの上に読みかけの本が置かれ、テーブルの上には新聞と雑誌が散らかっている。それほど外にいたとは思わなかったが、待たされる側には長く感じたのかもしれない。
 カウチソファーにDIOは長い足を伸ばして深く腰掛ける。その上へ夢主を跨がせるや、未だ濡れたままの髪を片手で掻き上げた。
「DIOまで濡れちゃうけど……」
「気にするな」
 鍛え上げた上半身をさらけ出すDIOは肌の上に水滴が落ちようとも構わないらしい。ぐいっと夢主の身を引き寄せ、濡れた服と肌をぴたりと合わせてしまった。DIOの大きな手が背中に回って強く抱きしめてくる。
「……冷たくない?」
「平気だ」
 吸血鬼を気遣う夢主が可笑しくてDIOは小さく笑った。雨が止むまでどこかで雨宿りをすればいいものを、夢主は傘を買うことも、タクシーを呼び止めることもせずひたすらに走って帰ってきたらしい。
「鼓動が早いな……」
 そのせいか脈拍がいつもより早いように感じられる。DIOは夢主の胸元に顔を寄せ、その甘ったるい心音を聞いた。
「DIOといるからだよ」
 夢主ははにかみながらそんな事を言う。その言葉に眼を細めて笑ったDIOは濡れた髪にキスを落とし、そこから耳と耳たぶを優しく噛んで流れ落ちるように頬へ口付けた。
 上下の唇で頬を挟んでその柔らかさを堪能し、鼻先にキスをしてまた反対側の頬に唇を落とす。
「くすぐったい」
 と言う夢主の下唇を親指の腹で撫でさすり、ちゅっと軽く音を立てて口付ける。
「……DIOって意外とキス魔だよね」
「フン、誰にでもこうすると思うのか?」
 心外だ、とばかりにDIOは夢主の唇を少しだけ噛んだ。ほんのりと赤くなる夢主にニヤリと笑ったままの唇で顎を啄む。その間にさっさと上着を脱がせ、可愛い柄がワンポイントで入ったシャツのボタンを外した。女の目立たない喉仏を舐め、露わにした鎖骨へと舌を這わせる。間の小さな溝にキスをして、そこから柔らかな谷間に続く女の胸元に顔を押しつけた。
 しばしの間、DIOは何も言わずその感触とドクドクと血が流れる音を堪能する。朝方にまたシャワーでも浴びたのか夢主の肌からはほのかに石鹸の香りが放たれていた。
「そんなに一人がつまらなかった?」
 夢主の言葉に相手は眉間に小さな皺を寄せて、胸の間からちらりと見上げてきた。
「お前にも味合わせてやろうか? この部屋でただ待つだけの無為な時間の過ごし方を」
 どうやら本当につまらなかったらしい。
「ごめんなさい」
 夢主は素直に謝って目の前にあるDIOの額に軽い口づけを落とした。DIOからするのは何度もあるが、体格差から夢主はそうする事がなかなか出来ない。そうでなくても自分からキスをするのは恥ずかしく、またDIOに対してそうすることは不遜にも感じてしまって夢主からすることなど滅多になかった。
「フム……殊勝な態度だな」
 笑みを浮かべたDIOはふっくらとした谷間にキスをして、そこからさらに下へ唇を運ぼうとする。このままではソファーに押し倒されかねない。DIOから全身にキスされては夢主の思考は溶けて無くなってしまうだろう。
「DIO、ちょっと待って……」
 大きな星のアザを持つ相手の肩を押し返そうと奮闘する。体格だけでなく、人間の女と吸血鬼という歴然とした力の差もまた超えられないものだ。DIOはブラと肌の隙間に何度か口付けた後、ようやく顔を離した。
「もはや二人だけだ。好きにさせろ」
 そう言って、今度は夢主の目蓋や目尻にまで唇を押しつけてくる。
「……だけど、もっとこう……他に何か……」
 出来れば映画やテレビを見て過ごしたい。夢主は雰囲気に流されないよう必死でDIOを見つめ返した。
 しかし相手にそんな気はさらさらないようだ。DIOは後ろの背もたれに深々と体を預けると、夢主の体を引き寄せて正面から囁いた。
「お前の好きなところにキスをして何が悪いと言うのだ? さぁ、次は私にして見せろ」
(好きなところ……)
 夢主は赤面するが、DIOの言葉の続きが理解できなくて戸惑ってしまう。
「して見せろ……って、え? ……キスを?」
「ああ。今度はお前の番だ」
 そう言うやDIOは夢主の両手をぐいっと引いた。相手の腹の上に跨っていた夢主はバランスを崩し、まるでのしかかっているような状態になってしまった。ニヤニヤと笑うDIOの美しい顔が目の前に広がり、艶っぽい視線に心が捕らわれてしまう。
「……いいの?」
 何故か確認を取ってくる夢主にDIOは微笑む。
「私を愛して見せろ」
 そう言ってぺろりと唇を舐められてしまった。
 その言葉に数秒間固まった後、夢主はそろそろとDIOの髪に手を伸ばす。自分のとは違ってどこまでも明るい金色の髪だ。サラサラとしながらも癖のあるそれを指に絡め、皮肉なほどお日様色をした毛先に夢主は唇を寄せた。
「DIOの髪は綺麗だね」
「……それは女に対する褒め言葉だろう。私は男だぞ」
 そんな事は誰よりも知っている。夢主は小さく笑って少しばかり皺の寄った眉間にキスをした。己の我を何としてでも押し通す力強い眉を撫で、誰よりも多くの死を見てきた赤い眼を覆う目蓋に唇を寄せる。キスの間だけ閉じていた目が楽しそうにこちらを見るので、すぐさまそこから移動した。
 整った鼻梁と精悍な頬、耳に飾られた金のピアスと三つ並んだホクロにもキスをした。
「……はぁ」
 夢主はそれまで止めていた息を吐き出した。緊張している自分に気付くとますます鼓動が跳ね上がってしまう。意識しすぎて呼吸が苦しかった。
「それで終わりか?」
 柔らかな唇がぽつぽつと落とされていく感触が堪らなくいい。照れながら慎重にキスをする夢主を今すぐ抱きしめたいところだ。それを我慢してDIOはあえて試すように聞いた。お前の愛はそれまでか、と。
 夢主はその言葉を受けて少し躊躇った後、いつもDIOがするように首筋に舌を這わす。ちろりと舐めて軽く歯を押し当てる。DIOの鋭利なものとは比べものにならない、夢主の小さな八重歯の感触はあまりに優しい。
 夢主はそこにちゅっとキスをして、もはや傷跡のない首の結合部分を啄み、男らしい喉仏を舐め、くっきりと浮き出た大胸筋の間と女とはまるで違う飾りのような乳首をぺろりと舐める。
 途端にDIOがくすぐったそうに喉の奥で笑うので、夢主はぴたりと動きを止めた。
「……」
 そうしておいて今更ながら自分の行動に照れまくった夢主は、熱を持った顔をDIOの腹部に埋めて隠した。
「どうした?」
 DIOは愉快そうに夢主の頬に手を伸ばし、飼い猫を愛でるように何度も撫でてくる。突然、夢主はぱっと顔を上げると、人々の心を惑わすDIOの唇に噛みつくようなキスをした。
「これで終わり!」
 赤い顔でそう宣言する夢主にDIOは腹を大きく揺らして笑う。何とも中途半端だが彼女にしては上出来だろう。
「もうこれ以上は無理だからね! とにかく……テレビでも見ようよ!」
 素早くDIOの体の上から降りて夢主はテーブルの上に置かれたリモコンを手に取った。電源を入れるとスーツ姿のニュースキャスターが今日のトピックを澄ました顔で読み上げていた。ドラマにコメディ、映画と、必死でチャンネルを変える夢主の手からDIOはすぐにリモコンを奪い去る。
「では、私の番だな」
 DIOから夢主、そしてまたDIOへとこの戯れは交代制だったらしい。
「え、」
 DIOは驚く夢主を無視して、彼女の手が届かないソファーの背面にリモコンを捨て、小さな肩をソファーに向けて押した。
「まだ愛していない部分が残っている」
 DIOの大きな手が夢主の足先をくすぐり、細い足首を掴み、ふくらはぎを揉んで、太ももをいやらしく撫でていく。最後にとっても際どいところを指先でくすぐられてしまった。夢主は慌ててその手を押し止めたが、これももう無力に等しい。無駄な抵抗だ。
「お前と私のどちらが先に音を上げるか……実に楽しみだ」
 DIOは劣情をあおり立てるように自身の唇を赤い舌でちろりと舐めた。それを見てしまった夢主はもはや覚悟を決めるしかない。
(……のんびりしたかったのに……)
 うるさいばかりのテレビの画面が消え、あれほど激しかった雨音が止む頃には二人の姿はすでにリビングに無かった。おそらくはいつもの寝台の上で今までと変わらずに愛を囁いているのだろう。

 終




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